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現代アートの島・直島
屋久島に続いて訪れることになったのは、
瀬戸内海に浮かぶ島のひとつ「直島」。
島の名前を知らなくても、
この「かぼちゃ」を見たらピンとくるかも知れません。
日本が誇る現代アーティストの一人、
草間彌生さんの巨大かぼちゃのオブジェです。

直島は、
「地方創生」の希少な成功例として名を馳せています。
かつては、
産業廃棄物の不法投棄など
日本の高度経済成長期を支えながら、
その負の側面を背負わされた島でもありました。
ところが
2010年に開催された瀬戸内国際芸術祭を契機に一転。
「現代アートの島」としての地位を不動のものにしました。
仕掛け人は、
ベネッセホールディングス名誉顧問である福武 總一郎氏。
80年代より直島再生プロジェクトを始動します。
このプロジェクトは、
「金融資本主義」の対極に位置づいた
「公益資本主義」の考え方に根差しています。
現在私は、
その具体的な実現のために「公益資本主義」という
新しい経営の概念を提唱しています。平成22年8月6日、「瀬戸内国際シンポジウム2010」より
それは、
企業が、文化や地域振興を明確な目的とする財団を創設し、
その財団がその株式会社の大株主になり、
そこで得られた配当を資金として、社会に貢献できる仕組みをつくることです。
全文はこちら💡
この考え方は、もともと考古学者であり
実業家でもある原 丈人氏によって提唱されたものです。
「公益資本主義」は現行内閣が掲げる
新しい資本主義の理論的側面を支えるものでもあります。
耳触りのよさと実態は
必ずしも比例しないもので
あまり鵜呑みにはできないなぁというのが
今のところの所感です。
(リアルタイムの政策からみると、
残念ながら現内閣にとってこの理論は
“耳触りのよさ”でしかないような気がします^^;)
どれだけ対局に位置する考え方であっても、
やはりその全体を支配するのは「資本」である、というのは変わらないのですよね。
余談が長くなってしまいましたが、
そんな福武氏の絶大な尽力によって
人口わずか3,000人の離島に
延べ40万人(!)が訪れることとなりました。
特に、
直島を訪れるインバウンド観光客は
欧米やオーストラリアを中心とした富裕層の割合が高く、
2025年は万博が開催される年でもあり
同年開催予定の瀬戸内国際芸術祭にはより大きな注目が集まっています。
実際に、
現地のインバウンド観光客の人たちは
お忍び風というか、控えめで
どこか優雅な雰囲気のする人々でした。
「無」から「有」への結婚観
そんな直島には、
神戸港からフェリーで行くことができます。
高松経由で5時間ほどかけて直島へ。
船旅っていいですよね♡
5時間なんてあっという間です。
特に
最近のフェリーは運賃数千円で
施設も大充実!
寝てもよし、遊んでもよし。
夜風に吹かれて夜景を眺めてもよし、
お風呂、サウナを満喫してもよし、
香川うどんを食べてもよし、
甲板で潮風とブランコを堪能してもよし、
新たに竣工したフェリーにはなんと足湯もありました^^
「物流」の拡大とともに、
そのトラック輸送のための海運は
需要が高まるばかり。
あくまで私たち「旅客」はついでの
お荷物ですが、
こんなにお手頃に満喫させてもらえて
ありがたいものです。
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さて、
話は直島に戻ります。
カナダに住む友人が
パートナーとともにハネムーンで
帰国することになったため、
その旅程に直島で会おう!
というのが今回の旅のそもそもの目的でした。
直島に移住した
共通の友人ファミリーによる、
最高なガイド付での2泊3日の直島旅となりました♡
今回ハネムーン帰国した友人夫婦は、
出会ってから今年で15年。
結婚という形にこだわらずここまで過ごし、
この度いろいろなタイミングが重なって
正式に籍をいれることになったとのこと。
これまで形にこだわっていなかったけど、
実際に「夫婦」になるということは
とても幸せなことだった、と話してくれました。
私はこの在りようが、
なんとも素敵だな~♡と思いました。
わざわざ関係性に名前を付けなくても、
「無」にはむしろ大切なものがたくさん存在している。
それを丁寧に大切に「無」のままで育み、
時の流れとともにあえて名前を付けて「有」にする。
とても芯のある二人の選択だと思いました。
これまでの社会通念上、
「結婚」が目的化している傾向は強く
それが叶うかどうかで気持ちが揺らいだり、
関係性が終わってしまうこともあります。
女性の場合は、
出産のことなど身体の制限もあるから
死活問題といえばそうですよね。
でも
「子どもが欲しい」という願いも、
よくよく辿ってみれば内側から湧いてきたものでないこともあります。
逆に、
「必ず子どもを育てるんだ」という
確信に近い願いが内側から湧いてきているなら、
そのパートナーは「結婚」を目的に選ぶのも
ひとつの手段ですよね。
それも、
一人ひとりの人生プランによるんだろうなと思います。
誰しも、この人生で経験したいことはちがうはず。
だからこそ、
「社会」のアナウンスに迎合したり
人の声に耳を貸し過ぎたりすることなく
向き合いたいですよね。
それが誰かの「模倣」のための願いなら、
そこに付き合わされるパートナーや子どもは
お飾りみたいなものです。
「社会」に向けた責任ではななく、
大切な人たちへの責任の果たし方を身につけたいと思う今日この頃。
そんなときに、
二人とともに旅することができたのは
天の粋な計らいだったかもしれません^^
あらゆる「創造」のプロセス
直島は、
「アートの島」と呼ばれるだけあり
島中にアートが溢れています。
ただ、
今回の旅で面白かったのは、
その「アート」そのものから
探究が深まったというより、
やっぱりそこに生じたご縁や出来事によって
探究が深まりました。
それが結果として「アート」でした。
前回の記事でも探究した、
「神話」に通じるものがここにもありました。
「宗教」以前の宗教
出来事や関係性から
「神話」が創られたように、
日々の出来事や関係性から
「それ」を感じられるか。
今回の旅をともにした、
カナダから帰国した二人は
奥さんがダンサー、
ご主人がウッドアーティスト
という感性に満ちたカップルです。
直島での夕食の時間。
ご主人の作品創りのプロセスについての話になりました。
ご主人は日系ではありますが、
生まれも育ちもカナダなので
日本語は絶賛勉強中とのこと。
奥さんが
流暢な英語と日本語を丁寧に使い分け、
私たちとご主人の会話をアシストしてくれます。
一般的にイメージされる
「ウッドアート」とは、
木製の切り絵のようなものですが、
彼の「ウッドアート」の主たる作品は
彫刻やオブジェをはじめとしたスカルプチャーです。



私はこの作品たちの、
空間に溶け込む境界線の曖昧さと
その内側に潜むしなやかさに魅了されてしまいます。
たとえば、
大切な「内側」を守るために
あまりに強い境界線を設けてしまえば
それはいつしか「外側」はすべて敵だというメッセージになりかねません。
本来は敵でなかったものまでも
敵になってしまう危うさが「境界線」にはあるということです。
『 陰陽師は強い結界を張りすぎて、
自滅したんじゃないかと思うんだよね 』
と、ある友人が笑い話で話してくれたことがあるのですが、
笑いながらもこれは割と真実味のある話なんじゃないかと思っていました。
この作品たちを初めてみたとき、
ふとこのときの会話を思い出しました。
「境界線」ってたしかに必要です。
でも「内側」の脆さゆえにそれが強くなりすぎると、必要以上に「外側」に敵を作ってしまいます。
この角のない「境界線」は、
しなやかな「内側」あってこそのものだと
感じたのでした。

そんなウッドアーティストの、
作品を創造するときのプロセス。
「アート」という言葉から想起する
私のイメージは、
アーティストは直感を受け取ったら
そのまま作品に落とし込んでいくというものでした。
ところがご主人のお話を聴いていると、
そうでもなさそうなのです。
やはりその出発点は、
インスピレーション(直感)を得るところから。
そしたらすぐに作品を創りはじめるのかと
思いきやそうではありません。
さらに「熟考」を重ねるのだそうです。
自分が考えていること、
また先人たちが考えていたこと、
直感と照らし合わせるように考えを巡らせます。
ときには「哲学」からヒントをもらうこともあるとか。
直感と照らし合わせると言っても、
「答え合わせ」とはちがうとのこと。
下書きとなるラフ画を、
この過程で100枚(!)近くは描くのだとか。
そのうちのたった1枚から、
ときには数枚のラフ画を組み合わせてみることで「肚からの納得」が押し寄せ、そこから憑りつかれたように木を彫りだすのだそうです。
私はこの創造のプロセスを聴いたとき、
とても驚きました。
屋久島から帰ってから、
ますます探究真っ只中だったテーマと
同じようなプロセスがそこに在ったからです。
私のたどたどしい英語と、
奥さんの賢明なアシストによって
この探究についてをご主人に話しました。
この直感、
生命体としての「アルバイト」①~「直感」と「直観」
いわゆる「inspiration」は
【Cell ラボ】でも大切にしたいと思っています。
私自身も
身体感覚を開くからこそもたらされる、
その「直感(inspiration)」を
できるだけ素直に受け取って行動するようにしています。
しかし、
それをやりっぱなしにするのではなく
行動してその後を丁寧に観ていくと、
ちゃんとその直感(inspiration)がもたらされたわけがみえてくるのです。
これが直観。
いわゆる「intuition」にあたると考えています。
(※特にスピリチュアルの領域では、
この「直感」と「直観」が混同して
表現されているようですが、
東洋の哲学を探っていくと、
ここには明確なちがいがあるようです。
その定義づけは文脈によって異なるので、
ここでは、瞬発的なものとしての
「直感(inspiration)」と
熟成的なものとしての
「直観(intuition)」として扱っています。)
これは他の誰でもない
自分にだけ通う因果律のようなもので、
日頃「考えていること」が見事に統合され
的確な形で直感(inspiration)としてもたらされていたことがわかります。
それがのちに熟成し、
直観(intuition)として立ち顕れます。
まだまだ探究の道中ですが、
ある程度の確信はあって、
「自分の言葉で考える」人たちの在りようを観察して射た、共通している傾向だと思います。
それは、
頭がいいとかそうでもないとか、
仕事ができる・できないとか、
スキルがある・ないとか、
全然関係なく、
「真摯に人生と向き合っているかどうか」
ただそれだけです。
ただ単に
「人生がうまくいく」だけでいいのなら、
瞬発的な「直感(inspiration)」を受け取り
それを行動にするのを繰り返せばいいのかもしれません。
でも自分の「道」のようなものを
進んでいくことをこの人生で望むなら、
この「直観(intuition)」に至るまでの
「考える」プロセスはとても重要のように思います。
これだけ抽象的な話を、
お互いの英語と日本語が不十分なままで
交わすというのは大変に難しいものでした。
けれど、お互いの
「相手を理解したい」という熱意と、
奥さんの適切なサポートのおかげで
その相互理解が果たされることとなりました。
ある瞬間、
ご主人が雷に打たれたように言います。
「Oh my god !! very similar !!」
(なんてこった!とても似ているよ!)
そして、
気づけば3人でハイタッチしているという
素敵な流れが展開されました(笑)
このことが、
のちに深まっていく
「アート」と「ビジネス」の探究のきっかけになります。
to be continue…