自分と向き合うための環境づくり

なにかを変えたいと望むとき、
まずは環境づくりから、
とはよくいわれますが、
生き方を変えるときも環境づくりからです。

とくに
“自分と向き合うこと”
が求められるとき、
最初の環境づくりは
ひとりの時間を意図的に過ごすこと^^

仕事をやめてしまったり、
一人暮らしを始めたり・・
といった思い切ったことも
大きなきっかけにはなりますが、
まずは“いつもの環境”にいる機会を
減らすことから。

気の乗らない飲み会への参加を半分に、
かかってきた電話の対応時間を半分に、
宗教の集まりに参加する回数を半分に、
親や子供のめんどうをみる時間を半分に、
パートナーと過ごす時間を半分に、
家族サービスの時間を半分に。

そして週に1回、
山に登ってみる、
砂浜を散歩してみる、
カフェでゆっくり過ごしてみる、
銭湯に行ってぼーっとしてみる、
湯あがりに夕日を感じながら串カツを
食べてみる・・・(最高・・笑)

そんなふうに、
ひとりぼっち時間を過ごすことに
慣れていくことから。

私はもともと一人の時間が
最重要なタイプの人間なので
一人でどこでも行くし、
なんでもするのですが、
それでも生き方を変えようとするには
意識的に“ひとりぼっち”になる
必要がありました。

それほどに、
私たちは自分のためだけの時間
というものを意識しないとつくれない
世界に生きています。

ひとりぼっち時間を過ごせるようになったら
人生は半分変わったようなものです^^

それほどに
“ひとりぼっち時間”
って大切なものなんですね。

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2021年 春。

未曽有のウィルス蔓延から
約1年が過ぎました。

緊急事態宣言が解除されてもなお
感染者の増加はとどまるところを知らず、
どうなっていくのだろうという状況が続いています。

でも不思議と、
この1年間というのは
損失ばかりではなかったように感じます。

コロナウイルスによる恩恵が
いくつかあったとしたら・・・

そのひとつは
【誰にもとがめられることなく
一人の時間を過ごせるようになったこと】
ではないでしょうか。

ウィルス蔓延からの1年、
新しい生活スタイルにも慣れ、
日々増えていく感染者数に
眉をひそめることにも飽き、
今多くの人が立ち止まり始めているように
思います。

立ち止まるところから一歩進んで
動き始めている人もたくさんいます。

これは単純に、
世の中が変わりだしているから、
人もそれに順応するように変化しているのでしょうか?

それも一理あるような気がしますが、
なによりも一人ひとりが
“ひとりぼっち時間”を
しっかり過ごせた結果なのでは
ないかと思います。

「外側のなにかのための生き方」から
「自分中心の生き方」にシフトチェンジ
していくときも、
必要不可欠なのは“ひとりぼっち時間”を
1秒でも長く過ごしてみることです。

マスクやパーテーションが、
私たちと“いつもの環境”のあいだに
境界線ををひいてくれている。

“あなたはあなた。私は私”
“それはそれ。これはこれ”

それを自分に言い聞かせるでもなく、
腑に落として体感として感じることができる
千載一遇のチャンスなのかもしれません。

私たちは日頃、
思っている以上に境界線が
あいまいな世界に生きています。

国、学校、会社、家族、
友人、パートナー・・・
一見プライベートとも思えるような
人間関係ですら、
自覚はなくてもお互いが境界線を
侵し合っています

そうした組織や人間関係以上に
死生観や思想というものは
気づけば境界線をこえて、
私たちと同一化しています。

“心の境界線”のことを
心理学では【バウンダリー】と呼びますが、
このバウンダリーが
あいまいであればあるほど、
私たちは人や環境に影響を受けて
苦しみやしんどさを抱え、
それが生きづらさにつながっていきます

たとえば、
宗教や信仰の目的は、
私たち一人ひとりが
人生に対する全幅の信頼をもって
心安らかに生きていくことなのに、
いつしか形骸化した部分ばかりが
フォーカスされてしまい、
それに翻弄され本質を見失ってしまいがちです。

なぜか強迫観念やしがらみに
とらわれてしまうことがあります。

とても不思議なことに・・

ひとりぼっち時間を過ごすために
外にでてみると、
おなじく
ひとりぼっち時間を大事にしている人
との出会いがあります。

そして
その多くが宗教肯定派なんですね。

自己と向き合うことが
信仰心に通じること
当然のように知っている人たちとの出会いは
見失っていた本質を思いださせてくれます。

初めて出会って、
共通の友人がいるわけでもないのに
何時間でも話すことができる。

その人がすすめてくれた本が
一生の財産になる。

でも
連絡先を交換するようなことはしません。

そんな一期一会がお互い心地よかったりしますよね。

いつかどこかで
ばったり会うことがあるかもしれない、
もう会うことはないかもしれない。

ただひとつ、
出会えてよかったな~
というあたたかい気持ちだけはずっと消えません。

いつものメンバーとの近況報告では
あじわえない感覚ですよね。

ひとりぼっち時間を大切にしてみると、
孤独になるどころか、
そんな粋なご縁もめぐってきます^^

“ひとりぼっち時間”を過ごすと自己肯定感があがる

“ひとりぼっち”が大切なのは
なぜでしょう?

それは
“いつもの環境”のなかにいるままでは、
自分のなかから湧いてくる
感覚や感情の声を聞き逃してしまうからです。

自分の感情や感覚に寄り添うことは
自己肯定感を高めることにつながります

“私はこういうことに
心地よさを感じるんだ”

“俺はほんとうは
競争なんてしなくなかったんだな~”

そんなふううに少しずつ。

感情や感覚に寄り添っていく。

そうするとバウンダリーが
しっかりしてくる。

他者や環境との境界線が
きちんとひけるようになる。

つまり自己のbe(存在)に
輪郭がうまれるんですね。

大きなひとつの砂場に、
【A】と【B】があるよといわれても
どこまでが【A】で
どこからが【B】なのかわかりません。

でも
一本の線を引いたとき、
その境界線がうまれた瞬間に
【A】と【B】の存在が
はっきりと見えてきます。

自分のbeを肯定できるようになったとき、
他人のbeを肯定できるようになっています。

自分がdoすることで
期待に応えたり、評価を得ていると

知らず知らずに
他人にもdoを求めてしまいます。

でも自分の存在を肯定的に
思えるようになってくると、

人にああして欲しい、こうして欲しい
とdoを望む気持ちが薄れていきます。

人のあるがままのbeを
尊重していけるようになります。

そして期待や承認のためではなく、
みずから望んでdoをしていきたくなります

また自分のbeの輪郭がはっきり
していることで、
どこまでは採用するけど、
ここからは採用しない、
という線引きができてきます

それが宗教的な価値観であっても、
です。

誤解されがちなことですが、
「自分と向き合うこと」や
「自分を大切にすること」
はなにも自己中心的に
なることではありません。

むしろ、
周りの人たちや
この世界をもっと大切にすることにつながります。

ひとりぼっちでいることで着地するのは、
孤独で遁世的な在りかたではありません。

最後は
人・もの・環境とつながりなおすこと

自分の世界があたたかいものだと知って、
それでもって人とつながりなおすこと

それが着地点です。

“いつもの環境”にもどったとき、
純粋に、
私はなんて人に恵まれているんだろう、
あ~居心地のいい空間だな、とか
こんな話を聴けるってありがたいな、
とあらためて感じられることが
きっとあります。

目の前にいてくれる人たちの存在が
さらに大切に感じられる・・

バウンダリーがしっかりしてくると、
“人とのつながり”が不足を補うものではない、ということを体感できるようになります。

だから安心して
“ひとりぼっち”を楽しんでくださいね(*^^*)

進まないことは“そのまま”にしておく

今回は
久しぶりの更新になってしまいました。

ここ最近は、ものを書く・・
ということに追われる日々を
過ごしていました。

でもその日々のなかで
皆さんにお伝えしたいこと、できること、
それらのこともさらに
整理できたような気がします。

この活動をしていくなかで、
宗教や信仰が原因で生きづらさを
感じている人だけでなく、
多くの人が【自己蔑視】や【自己批判】
というものに悩まされていることを知りました。

この度、
あるクライアントさんからのご依頼で、
【自己蔑視】についてのお話と
対処方法をまとめたレポートを作りました。

それがそのクライアントさんには
ぴったりと合っていたようで、
「永久保存版です!
何度も何度も読み返しているし、
少しずつ自分が変われていることがわかるんです!」
なんてできすぎた感想を
いただくことができました。

なにより嬉しかったのは、
そのクライアントさんご自身が
「変わるのは自分なんだ」
としっかり自覚して
取り組んでくださっている、
ということです^^

こんなクライアントさんに出会えて
ほんとうにありがたいです。

こんなに喜んでくださった方がいるのだから、
ほかの方にもお役に立てるのでは?
と思いながら少しずつ改良をくわえ、
いつか皆さまにもご紹介しようと思っています^^

このお仕事をいただいてからしばらくは、
なかなか筆が進みませんでした・・・
私のなかに【自己蔑視】や【自己批判】
に向き合いきれないなにかがあったのかも
しれません(笑)

でも
その「やる気が起こらない・・」
という気持ちをそのままに、
そっと横に置いておきました。

人生ってやっぱり不思議です。

“そのまま”にしておくと、
動くべきことは動きだすんですね。

書き始めたら止まることはありません。

あぁでもなければ、こうでもない。
これじゃきっと伝わらない・・・
これなら伝わるかな?

そんな試行錯誤の日々でした(*^^*)

ところで、

進まないこと、
停滞していることを、
“そのまま”にするって
案外むずかしいですよね。

焦りや不安、後ろめたさ、
いろんな気持ちがでてきます。

私自身も今回のできごとから
それを痛感しました。

“そのまま”にしておこうとするほど
ざわざわした感情が
でてきてしまったり、、(笑)

でもそんなときに
身につけておくとパワーを
発揮してくれるスキルがあるんです^^

それはなんでしょう?

答えは
【グラウンディング力(りょく)】です。

スキル・・というよりも
身体感覚的なものかもしれません。

またブログのなかでも
ご紹介していくので楽しみにしていてくださいね!

それでは、
今回の記事はこのあたりで。

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Q.「ソマティック(身体性)とは?」

●【概念編】
思考(左脳)と身体感覚(右脳)のちがい①~⑤・<最終章>
※<最終章>までの連続シリーズです。

●【本質編】
ソマティック(身体性)な探究~本質編~

●このブログでは、
【パーツ心理学】にもとづいて、
身体の細胞や感情に対して
“擬人的”な表現を多く用いています。
自分と向き合ったり、
感情と距離をおくことを優しく
手伝ってくれる神経生物学的な考え方です^^