バレエのレッスンも“探究”

今回は、
「隙あらば探究ノススメ」をテーマに
記事を書いてみたいと思います。

コラム的に気軽にお読みいただけると
嬉しいです^^

【思考】と【身体】の一体感の記事で、
バレエのレッスンが
大切な『動的瞑想』の時間だということを
お話していました。

少しそのお話を振り返りますね。

私は、
家族のために、
宗教のために、
会社のために・・
と外側のものを大切にし
て生きていたので、
外側のものにしがみつくための力みで全身がこわばっていました。

 

自分を非力化しながら
外側のものにしがみついていたので、ただ立つだけでも力んでしまっていたんですね。

 

バレエのレッスンのたびに
先生から、
「あなたの身体の動きは、
リモコンを取る動きひとつでも
10㎏の米俵をもっているみたい。
もうクセになっているから、
先生には直せない。」
とよく指摘をうけていました。

 

意味もわからず、
ただ自分が悔しくて、
とても信頼している方だったので
先生の言葉の真意をしりたいと何度も思いました。

 

でも言葉で直接質問するのは
なにかちがうと感じたので、
まずは自分で観察してみることにしました。

 

たしかに私の身体は、
自力で立つと力みすぎていて、
先生にも直せない。

 

だけど、先生にゆだねようと
すると脱力しきってしまって
立てなくなってしまう始末でした。

 

物理的に身体になにか
不自由がある、
ということではなく、
身体があるべき自然な位置に
調整してもらうと、
こんな状態になってしまうのです。

 

0か100の状態です。

 

まるで
自分の中心に軸がないために、
このような身体の動きになっている
のではないか?
と感じるほどでした。

 

まさしく
その通りでした。

 

ところが、
少しずつ身体となかよくなっていくことに
取り組んでいくことで、
私にとっての快・不快、
もともとどんな人で
どんなことを考えていたか、
どんな過ごし方を望んでいたか、
どんな生き方を望んでいるか、

 

そんなことがわかるようになって、
外側のもののためではなく、
自分のために生きることが
できるようになってきたとき、
身体にも変化があったのです。

 

先生にゆだねようとしても、
脱力しきることなく、
しっかりと立ち続けることができました。

 

自分の中心に軸があることで、
ふっと力を抜いたときでも、
50の力できちんと立つことが
できるようになったのです。

 

先生はびっくりされていました。
わざわざ言葉にすることはしなくても、
私の内面でなにか変化が起こっていたことに気づかれていたようです。

 

このことを体感として
感じられたとき、
レッスン後の街の景色は
レッスン前よりずっとずっと
色鮮やかでした^^

 

もうスキップして
帰ろうかしら♡♡
と思えるような、
じわっと温かく、
でも軽やかな気持ちでした。

 

“自分を知ること”
“自分を労わること”
“自分を大切にすること”
“自分に行動させてあげること”

 

身体を通して自分と向き合い、
身体がそれに応えてくれた。

 

身体の細胞たちに
『あなた達のことをもっと
知りたいと思ってる。』
という好意的な気持ち
『いつもありがとうね^^』
という労いの気持ちが伝わって、
私が想像していた以上の変化を
もたらしてくれました。

 

そこに
抑圧やコントロールはなく、
ただそういう気持ちを向けていました。

 

ここで培われていたものは、
【自己信頼力】です。

 

■過去記事
Mind(思考)とBody(身体)の一体感より


これは今でも実感し続けていることですが、

身体は1ミリもずれることなく、
私の“在りよう”を表現してくれています

“本質的な自分(魂)”を体現すること
についての記事でも探究していたように、
本質的な自分(魂)が
解放されていればいるほど、
まんまるに近づいていくほど、
幸福度は高く、
身体はゆるまり、
自然体で生きていくことができます

外側のものにしがみついていた頃の
0か100の状態だった私は、
本質的な自分(魂)がこれしか↑体現されていませんでした。

しかし、
自分の中心に軸ができてきて、

ふっと力を抜いたときでも、
50の力できちんと立っていることが
できるようになってきた
頃の私は
本質的な自分(魂)がずいぶん↑体現されるようになっていきました。

そんな内側の“在りよう”は、
醸しだされる雰囲気とか空気感だけでなく
物理的な《身体の動きや位置》にもきちんと
表現されているんですね。

運動習慣がある人におすすめ

私の場合は
バレエ教室でのレッスンですが、
こうした運動習慣がある方には
《身体の動きや位置》⇔《自分の内側》
の探究をおすすめしています^^

ヨガや合気道のような
静かな動きを伴うものはもちろん
おすすめですが、
《身体の動きや位置》の変化を
探究できれば筋トレやキックボクシングのような動的なものでもいいかもしれません。

そして一人ではなく、
指摘してくれる指導者のもとで
《身体の動きや位置》について知ってみてください。

あえて“内面”や“精神面”に
フォーカスし過ぎず、
純粋に身体の動きだけを見てくれる先生がおすすめです^^

私自身、レッスンのときは、
あえて純粋な身体の動きや姿勢のことだけを
指摘していただいて自分のなかで探究を深めたいのであえてこうした“探究”についてはお話ししないようにしています。

(でもたぶん先生にはバレてます。笑)

それは指導者の方の指摘に
“内面”や“精神面”についての示唆が多いと、
それだけ探究の視野が狭まってしまうからです。

——–

たとえば
あるレッスンで、
“ふとした瞬間に肩が内に巻いてしまう”
という身体の動きを指摘されたことがありました。

そして私の探究ははじまります。

【思考】で考えることは一切しません。

“肩が内に巻いてしまう”という感覚を
感じてみるんですね。

そしてその感覚を右脳的になんとなく
覚えておきます。

その頃の私のテーマに
“自分らしさ”の表現、
というものがありました。

このブログでの発信もそうなのですが、
“自分らしく”生きることはできてきても
それを言葉にして表現することに
少し抵抗を感じていました

そしてそのときの抵抗感をふっと
感じていると、
あの“肩が内に巻いてしまう”という感覚を
思いだすんですね。

ここで私のなかで、
“自分らしさ”を
表現することに抵抗がある
    ⇔       

“ふとしたときに肩が内に巻いてしまう”
という符号点が生まれます。

そして、
できそうなほうからアプローチ
していきます。

私は試しに、
“自分らしさ”を表現してみることに
しました。

(そのときに書いた記事がこちらです^^)

“自分らしさ”を表現することへの抵抗を
感じながら、
すこし肩まわりも回しながら…
不思議と記事を書き終える頃には、
あの抵抗感が薄らいでいます。 

そして
その直後のレッスンでもらったのは、
「そう!
こないだはここで内に巻いてたのよ!
抜けてる抜けてる!」
というずばりの一言でした。

“…抜けてるーーーー?!♡♡”

こうなると
自分を抱きしめてあげたい気持ちと
先生に対して感謝の想いでいっぱいです(笑)

ここでもし、
最初から
「“自身のなさ”が肩にでてるのよ」
という踏みこんだ指摘をされていたとしたら
私のなかの探究が深まらないので
“自分らしさ”というキーワードと結びつくことはきっとありませんでした。

これが、
純粋に身体の動きだけを指摘してくれる先生をおすすめする理由です^^

(なんとなくですが、
的確に身体の動きについての
指摘をしてくださる先生は
あえて“考える余地”も与えてくれるような気がします。)

少し長くなってしまうので、
記事を分けて
“隙あらば探究”をおすすめする理由
を次の記事で書いていきますね^^

——–

Q.「ソマティック(身体性)とは?」

●【概念編】
思考(左脳)と身体感覚(右脳)のちがい①~⑤・<最終章>
※<最終章>までの連続シリーズです。

●【本質編】
ソマティック(身体性)な探究~本質編~

●このブログでは、
【パーツ心理学】にもとづいて、
身体の細胞や感情に対して
“擬人的”な表現を多く用いています。
自分と向き合ったり、
感情と距離をおくことを優しく
手伝ってくれる神経生物学的な考え方です^^