“隙あらば探究”をおすすめする理由

前回に引き続き、
“隙あらば探究”ノススメをテーマにしたコラムです^^

“隙あらば探究”をおすすめする理由は、
とにかく日々のできごとすべてが色鮮やかに
なっていくからです。

“身体の声を聴こう”
という姿勢は、
五感を研ぎ澄ませることにつながっていきます^^

これってどうなんだろう?
あれってこうなのかも!

それは《答え》を探す感覚とはまたちがうんですね。

ただただ味わう、楽しむ、面白がる。
ときに真剣に考えてみる。

人のことをあーだこーだ言ったり、
“愛されるため”の《答え》を探し回る時間なんてありません(笑)

《答え》なんて探し回らなくても、
“期待”や“執着”を上回る純粋な好奇心が
流れに対する《抵抗》を溶かしてくれるんですね。

【思考】でつかみとる付け焼刃な《答え》より本質的なところにたどりつけます。

流れとは、
本質的な私たち(魂)のスムーズな流れのことです。

こちらの記事↑も読んで探究を深めてみてくださいね^^

最近の探究ネタ|《直感》について

そんな探究オタクな私の
今一番旬な探究ネタは《直感》についてです^^

私はこれまで、
“なんかピンとくる”という感覚こそ
《直感》だと思っていました。

でも、
ソマティック(身体性)な探究を深めていったとき、
その感覚にはまだ少し【思考】が介在しているのかも、という気づきがありました。

“必要なことなら、ピンとくる前に
(身体が)もうやってる(=行動している)”
という経験が数多くあったからです。

たとえば、
あるコミュニティの忘年会に誘われたとき。

“ピンときた”⇒“行ってみよう”
というプロセスを経るのではなく、
“ピンときた”という瞬間をすっ飛ばして
「はーい!行きます!」の返事をしていたという感じです。

つまり、
“必要なことは身体が勝手にやっている”
状態ですね。

これまでは当然のように
「迷ったときは、やる!」
のスタンスで行動していました。

けれど、
身体がもつ【知性】を実感し、
身体とのパートナーシップが
築かれはじめてからというもの、
“そのスタンスには自己信頼がなかったのかも”感じるようになりました。

【自己信頼】が研ぎ澄まされていくと、
「迷ったときは、やらない!」どころか
必要なことは“もうやっている”ので、
そんな迷いの瞬間もあまりありません

(【自己信頼】については、
“ゆだねる”ということの記事
をご参照ください^^)

表現を変えてみると、
実力ではオーディションに受からないから
数打ち勝負で100回参加しなきゃ!
というスタンスから
ちゃんと実力はあるから
大事なオーディション1回にゆったり臨もう!というスタンスにシフトした感じです。

前者の「迷ったら、やる!」
は一見能動的でいい感じがするのですが、
たしかにその在り方だと“雑”になってしまうんですね。

その点、
後者の「必要だったら、もうやってる」
は一見受動的な感じがするのですが、
この在り方だと“丁寧”になっていくんです。

それくらい、
身体がすること(=行動)って
的を得ているなぁと思うことが多いです。

つまり、
“やってない”時点で“やらなくていい”こと、
“やったほうがいい”ことは“もうやっている”んです。

本当に必要なことは、
【思考】が介在する余地がまったくないみたいなんですね。

一般に「直感」といわれるような
“ピンとくる”といった感覚すら生まれる余地がありません。

それくらい、
身体ってシームレスに(継ぎ目なく)動いてくれる、そんな感覚です。

どこかにでかける、
誰かに連絡する、
なにかに挑戦する、

どれもこれも私の人生に必要なら“もうやってる”んですね。

なんかもうまかせておけばいいや。

だんだん
余計な【思考】をすることがなくなって
身体もさらに楽になっていきます。

たしかに最初は
“ピンときた”⇒“行ってみよう”
を繰り返していました。

そこでひとつの仮説を立ててみました。

もしかしたら‥
細胞たちとのパートナーシップを築く
内側から湧いてくる感覚をキャッチする
→そのインスピレーションをすぐ行動にする
このサイクルをずっと繰り返していたので
そのうち【思考】が省かれるようになって
“細胞たちが、もう行動してる状態”になってきたのかも!という(笑)

イメージにしてみると
こんな感じです^^


身体をゆったりと、
その身体の衝動に“ゆだねる”
ということをしていると、
こんな感じの感覚になっていきます。

そしてその行動ひとつひとつには
一切の後悔がありません

どうも的を射ているなぁ
という感じがするんですね。

エッセンシャル思考ならぬ、
“エッセンシャルボディ”とでも
言うのでしょうか(笑)

これって
【身体感覚】がもたらしてくれる
“今”への信頼なのかもしれません。

これは面白いなぁと思って
いろいろ本を探ったりもしているのですが
これといったヒントには出会えていないので
引き続き“探究”を楽しんでいこうと思っています。

なにかヒントをご存じの方は
ぜひ教えていただけると嬉しいです^^

次回の記事では、
そんな“探究”のスタンスとともに
私がソマティック(身体性)な探究を
発信している理由について書いてみたいと思います。

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Q.「ソマティック(身体性)とは?」

●【概念編】
思考(左脳)と身体感覚(右脳)のちがい①~⑤・<最終章>
※<最終章>までの連続シリーズです。

●【本質編】
ソマティック(身体性)な探究~本質編~

●このブログでは、
【パーツ心理学】にもとづいて、
身体の細胞や感情に対して
“擬人的”な表現を多く用いています。
自分と向き合ったり、
感情と距離をおくことを優しく
手伝ってくれる神経生物学的な考え方です^^