その「起点」とは?


さて、
「アート思考」に続き
「デザイン思考」を知り、
『生命の発露』における両者の関係性を探ることになりました。

そして、
描いてみたのが前述のイメージです。

この「0」の垂直軸にある、
緑色のぼわっとしたものが
いわゆる「起点」になるのですが、
「それ」はどこからくるのでしょう?

この起点を【Cell ラボ】では、
「宇宙が投げたインスピレーション」としています。

それはいわゆる「天啓」のように、
衝撃とともにもたらされるものではありません。

自分の人生という「道」に、
より真摯に歩みだそうとしたときに
気づいたらもたらされていた、くらいのものです。

それが衝撃的な「出来事」だった、
ということはあるかもしれません。

いずれにしても、
「宇宙からのインスピレーション」を
意図的に求めているとき、
その「起点」は生まれません。

それくらい、
本来の私たち、いわゆる「魂」の流れは
万事順調なのだと思います。

本質的な私たちの流れ


この【Cell ラボ】というプロジェクトも、
思い返せば10年ほど前に宇宙が私に
投げたインスピレーションが起点になっています。

ー自分を生きていないと、
うっすら気づき始めた10年前。

“感じる” ということを
シャットアウトしていた私に、
漢方医の先生が偶然くれた
僕があなたの細胞ならいやになる」という一言。

この一言が『細胞教室』のはじまりでした。

これは今考えると、
きっと宇宙からの贈りものでした。

この一言で「はっ!」となった私は、
細胞さんたちが伝えてくれる、
自分自身の感情や感覚に、
素直に耳を傾けてみることにしました。

細胞さんたちだって、
これまで散々無視されてきたのに
急に「声をきかせて?」なんて言われても拍子ぬけです。

********

当初は、
ただ自分の感情・感覚を伝えてくれる
“身体感覚” としての細胞さんたちでしたが、
その視座はしだいに「人体観」、
「パートナーシップ」、
「男性性・女性性」、
「組織・コミュニティ」、
「資本主義社会」、
そして「自然・循環」へとシフトしていきます。

“細胞さんたちと仲良くなる”
ということは、
心理学・生物学やスピリチュアリティなどの
知識や情報が先行するものではなく、
すべては体験・仮説が先、
裏付けや知識は後からついてくるものでした。

のちに
「ソマティック心理学」や
「インテグラル理論」、
「ティール組織」・「ソース原理」などに触れ、
自分が体験してきたことの実体をつかみ直すことになります。

最近では、
「西田哲学」や「物理・量子力学」との関係性からも
体験の紐解きが続いています。

「思考」だけで進むのではなく、
「身体感覚」の声をさきに聞いてみる。

それから「思考」してみることで、
浅いところでの脊髄反射的判断ではなく、
深いところで「思考」が動きだす。
それは次第に「探究」や「洞察」になっていく。

プロジェクトが自生するちから

もちろん、
この出来事に遭遇した当初は、
10年経った今
こうしてプロジェクトとして
探究していくことになるなんて予想だにしていませんでした。

きっと子どもも何人か生まれて、
子育てに勤しんでいるんだろうくらいに思っていました。

まさか育てている「子ども」が
プロジェクトだなんて想像もしていません(笑)



スタジオジブリ最新作


2023年7月に、
ジブリ映画の最新作
「君たちはどう生きるか」が公開されました。

「アート」と「デザイン」を
探究中だった私にとって、
とても感慨深い作品でした。

(※ネタバレになるような記述は避けていますが、
鑑賞予定のある方はご注意ください。)

「君たちはどう生きるか」は、
一切の宣伝や広告、プロモーションもなく、
たった一枚のビジュアルだけが公開されていました。

あらすじも声優陣も未公開の状態で、
全国封切を迎えたのですね。

「広告なし」という前代未聞のプロモーションです。

それが蓋をあけてみれば
公開10日で興行収入は36億を突破、
100億も射程圏内なのではないかと話題は尽きません。

そしてその批評は賛否両論。
「お金返して!」から
「史上最高傑作!」まで評価は二分しています。

評価が二分した大きな理由のひとつが、
本作が「デザイン」でなく「アート」だったからだと思います。

これまでのスタジオジブリは、
スポンサーありきでした。

そのタイトルすらスポンサーの意向を汲み、
ユーザーが望むもの(売れるもの)を
提供し続けてきました。

そんな、
「アート」なようで「デザイン」ど真ん中だったスタジオジブリの最新作。

もうパヤオ全開!!という感じで(笑)
宮崎駿監督がやりたかったことが
全部盛り込まれているような印象でした。

「アート」一色だったのです。

だからなのか、
この映画には幾重の層と、
あらゆる角度が存在するので
その層と角度によって受けとるものもさまざまです。

逆に、
ユーザー側が自身の人生に
この映画を取り込んで解釈し、
おのおので吸収できるということだと思います。

そんなわけで、
私も『生命の発露』の視点で
楽しんでみたところ面白い発見がありました。

ストーリーのなかに、
その昔に宇宙から隕石が落ちてきた、
というエピソードがでてきます。

劇中に登場する、ある「塔」が
この映画の肝になるのですが、

この「塔」を
“ 主人公の大叔父さんが創ったもの ”
とする描写と、
“ 宇宙から隕石が落ちてきて
そこに立ち現れたもの “
とする描写があります。

いずれにしても、
この大叔父さんは
「塔」に魅了されるように、
重要な研究と仕事に没頭していくことになります。

“ 主人公の大叔父さんが創ったもの ”

“ 宇宙から隕石が落ちてきて
そこに立ち現れたもの “


この両者の描写が、
『自己の発露』と『生命の発露』
のコントラストに思えてならなかったのです。

実際に、
本作試写後の宮崎監督が
こんな言葉を残しています。

「恐らく訳が分からなかったでしょう。
私自身、訳が分からないところがありました。」

言葉だけを切り取ると、
おいおい(笑)と笑いのネタにもなってしまいそうです。

でも、
この「作品」そのものの創造のプロセスが
「宇宙からのインスピレーション」を
起点とした『生命の発露』だったのではないかと思うのです。

宇宙が、
“ この地球にもたらしたい ”と
願ったエネルギーを宮崎駿監督に放ち、
その「生命」と監督が真摯に向き合ったのではないか。

そんなふうに観ることもできました。

劇中で登場する
こんなセリフがあります。

『あの “塔” は、
いろんな世界にまたがって存在しているんだよ。』

********

一人ひとりが、
天からもたらされた
インスピレーション(隕石)を大切にね。

宇宙がこの地球にもたらしたいものが
たくさん含まれているから。

そこに立ち顕れる「塔」は、
人(世界)によってまったくちがう。

それは作品としてのアートかもしれないし、
事業としてのプロジェクトかもしれない。

生き方そのものかもしれない。

誰かにとっては白でも、
誰かにとっては黒かもしれない。

決して、
人の真似をしないようにね。
それでは「隕石」の意味がないから。

私はそんなメッセージを
この映画から受けとりました。

さぁ私はどう生きる



10年前に
天が私に投げた隕石が、
どんな「塔」をこの世界にデザインしようとしているのか?


その「起点」が、
宇宙からのインスピレーションである限り、
その声を聴き続けるしかありません。

けれど
そのエネルギーが孕む願いを
「目に見えない」領域でつかめてきたのなら
少しずつ「デザイン」を意識してみよう。

あくまでも、
「アート」に内包された「デザイン」であることを肝に銘じて。。


そうそう、
このイメージを右方向から眺めると
こんなふうにみえるんですね。


この
「アート」に内包された「デザイン」
の探究は、再び訪れた直島の旅に続きます。

to be continue…