日本国内に存在するドメイン名に冠される
「.jp」というトップレベルドメインを模して、
「.Cell」としています。


サイト名「.Cell」(ドットセル)は、
「細胞(cell)」に由来します。

しかし「.jp」が
日本国内、という有限性を
象徴するものだとすれば、
「.Cell」は無限性を象徴しています。

今、
世界に蔓延する「知識」や「情報」は
それがどれだけ建設的だったり、
持続可能性を目指したものだとしても
「固定化」されたものであることには変わらないように思います。

その「固定化」された
「知識」や「情報」に根差して
ものごとを考えることもときには必要です。

その姿勢が「有」からものを考える、
だとすれば【.Cell 】では
「無」からものを考える姿勢を大切にしたいと思っています。

目に見える「知識」や「情報」
「理論」や「エビデンス」ではなく、
日常や世界をとりまく
目には見えない「なにか」を観ようとする姿勢です。

言い換えると、
「自分の言葉で考える」ということ。

「心理学」という文脈を越えて、
心について考える。

「恋愛」という文脈を越えて、
愛について考える。

「ビジネス」という文脈を越えて、
営みについて考える。

「数学」という文脈を越えて、
記号について考える。

「身体性」という文脈を越えて、
からだについて考える。

・・・ここでいう
「文脈を越えて考える」とは、
“ 身体感覚を開き、本来の思考を発揮する ”
を意味しています。

それは外側を観るようで、
気づけば内側を観るような作業でもあります。

まずは「身体感覚」を開くこと。

身体というのは、
いかに社会から与えられた情報や刺激に
反射的に反応しているのかを教えてくれます。

もちろん、
過去に負っていた傷や経験によって、
それが増幅しているということも。

そういったことに自覚的になり、
余計な雑音が取り除かれていくと、

本当の「音」のようなものが聴こえてきます。

内側に奥深く進むうちに、
外側を観るまなざしに「洞察」が宿ります。

そこから「考えること」をはじめてみる。

世界が何で満ちているのか、
世界を何が満たしているのかを観ていく。

そうやって
「無」からものを考えてみたとき、
独自の哲学に根差した言葉が自然と生まれてくるように思います。

その自然に生まれた言葉たちが、
現存する「有」の言葉たちと出会えたとき、
世界の大きな転換そのもの(=体現)になっていくのでは…?

そんなことを考えています。


「.Cell 」のスタンスを
まとめて表現するとこんな感じです😊

💡「直感(inspiration)」から
「直観(intuition)」への熟成プロセスを大切に

=「文脈」の外で考える

=「自分での言葉で考える」
(身体感覚を開き、本来の思考を発揮する)

=世界が何で満ちているのか、世界を何が満たしているのかを観る
=「自己理解」/「他者理解」

💡「直感(inspiration)・瞬発的」から
「直観(intuition)・熟成的」という
クリエイティブなプロセスは、
「恋」から「愛」への熟成と同義。

「恋」はinspirationだけでできるが、
「愛」にはintuitionに至る技術と体現が伴う。

💖世界が今、資本(恐れ)driven⇒命(愛)drivenに転換するなら、
この技術(考える力/観る力)はとても重要と考える。

それぞれのトピックについて、
その背景を今少しずつ記事にしています😊
もし、なにか感じてくださる方がいればぜひ一読頂けると嬉しいです。

探究ブログ●「.Cell」のこと

…といろいろ標榜しながらも、このラボにはコンテンツはありません(笑)
もしかしたら今後、自然発生的にコンテンツが創造されるかもしれませんが、
とにかく今はありません。

その理由については、プロフィールをご覧ください。

こんなへんちくりん セルピスト(cellpist)にシンパシーを感じてくださる方がいらしたら、ぜひメッセージください♪

——-【過去の「はじめまして」】———

(2023年1月更新)

面白がって、信頼してみることから…

ひっそりと『細胞教室』を実験中!

『細胞教室』では、
【Don’t Think,Feel!(考えるな、感じろ!)】よりも
【Lets’ Feel♪then Think!(感じよう♪そして考えよう)】
をご提案しています♬

「宗教肯定派カウンセラー」から
「ソマティック(身体性)な探究を発信する人」、
そして現在は『細胞教室』の実験をしています!

詳しくはこちらの記事をどうぞ😊

肩書もマーケティングもめちゃくちゃな
私ですが、わりと真剣にやってます(笑)

なんだか自分でもいよいよわからなくなってきましたが、
この “ワカラナイ感” が楽しかったり♪

これまでの流れにも無駄なことがまったくないのですべて残しています。
興味のある方は読んでいただけたら嬉しいです。

——————–

(2021年11月追記)

「ソマティック(身体性)な探究を発信する人」
として、その探究をあるがまま発信しています♪

ソマティック(身体性)をひと言で
定義するならこんな感じの表現になります。

自分の思考(左脳)というよりは、
身体(右脳)の感覚と行動を通して
自分と向き合ってみたり、
世界を眺めてみたりすること。

今、
一人ひとりの「ニューノーマル」が
求められています。

なんだか気ぜわしい時代ですね。

でも、
“自分らしさ”に安心することさえできれば、
きっと怖いものはありません^^

まずは
『身体の細胞たち』と仲良くなる、
ということからはじめて、
身体のもつ《知性》と《ちから》の
パワフルさを味わいながら、
“新しい視点(=気づき)”を得て、
目の前にある現実すらも変わっていく。

そんな“探究”の楽しみを
たくさん発信していけたらと思っています^^

《どんな人に向いてる?》

●“身体”をもっている人。

●“身体”というものに可能性を感じている人。

●ヨガやバレエなど静かな動きを伴う運動習慣がある人。

●オタク気質。『探究』することが好きな人。

●「おもしろそう」が原動力になる人。

●人それぞれちがうからいいんじゃない?
という世界観をもっている人。

《こんなお悩みがある方に》

●自分と向き合うことが今必要なのかも…
となんとなく感じている。

●“自分の人生”を生きることに
抵抗や罪悪感を感じている。

●「あなたはどうしたいの?」
という質問に答えられない。

●朝起きたときに
身体が重いのは当たり前。

●結局“自分らしさ”ってなんなの?

●心理学に精通しているがゆえ
“ブロック”ばかり見て終わりが見えない。

ここに挙げた、
《どんな人に向いてる?》と
《こんなお悩みがある方に》
ともに該当している皆様…、

このブログに遊びに来てくださって
本当にありがとうございます!!

『ソマティック(身体性)な探究』は
きっとあなたの人生に深みをもたらしてくれます♡

ぜひ、一緒にその“探究”を楽しみましょう♡♡

もちろん、
《どんな人に向いてる?》と
《こんなお悩みがある方に》
のどちらかに該当されている方も大歓迎です♡♡

あなたの“視点”からみた世界のことを教えてください^^

どんな結果が得られるの?

これは何が起こるかわかりません!

ただ、
この“何が起こるかわからない”に可能性や
惹かれるものを感じられる方には必ずなにか起きます!!(笑)

なにが起きてくるにしても、
なにが変化するにしても・・・

その体感は、
すーっと背筋が伸びて、
静かなのにしなやかで、
「これが自分の人生なんだ」
とお腹から納得できるものです。

毎日の一歩一歩を
マイペースに重ねていける、
誰にも邪魔されない『It’s my life』な感覚です^^

こんな方のご期待には添えないかもしれません。

●はっきりとした“答え”が欲しい人

●物質的なものや人からの承認だけのため
に努力しようとしている人

●自分で考えることが嫌いな人

※ブログを読んで頂けることは
とても嬉しいのですが、
きっと的外れでトンチンカンな印象を
もたれるかもしれません(^-^;

—————

ソマティックな探究を通して、

人生をより深めていく楽しみを
もっと多くの人に広めたい。

そんな気持ちで、
活動のコンセプトを少し変えました^^

詳しくは、
こちらの記事をご覧くださいね。

あらためまして、
このブログを運営しております、柴田季世です^^

私はもともと、
ご家庭の宗教や信仰で生きづらさを
抱えている方へのカウンセリングを
メインとした活動をしていました。

しかし、
その活動を通して、
あらためて“ソマティック(身体性)”
というものの可能性に気づかされました。

きっかけのひとつは、
お客様から頂いた言葉でしたが、
お客様がもつ【信仰心】というものが
想像以上のリソースであったことも
大きなきっかけでした。

宗教や信仰による、
集団社会的なしがらみや強迫観念は
たしかに生きづらさにつながるものですが、
カウンセリングでそのしがらみの解消が進むと、持ち前の【信仰心】を生かしてお客様ご自身で『探究』の方向へ自然と向かっていかれます。

恐らくなのですが、
幼い頃から宗教や信仰の価値観が身近な
環境で過ごしていることで、
【社会的な思い込みのブロック】は抱えにくい、という恩恵を受けているのだと思うのです。

そして、
そんなお客様たちとの関わりは、
自然と活動コンセプトのシフトチェンジを
促してくれました。

“ソマティック(身体性)”が
もたらしてくれる
『新しい視点』や『気づき』は、
これからもっと多くの人に求められ、
必要とされるものだと感じています。

そしてなにより、
その“探究”の楽しさ、面白さを
広めていきたいと心から思っています。

この活動にあたっての肩書は
現在模索中です^^

また、
広めていきたいのは
“探究”の楽しさ、面白さですが、
その先には実は真剣な目的というか
想いがあります。

“探究”のさきにある世界について、
こちらの記事を読んでみて
頂けると嬉しいです。

またブログの記事のなかでは、
“さもわかったような表現”が
頻出しておりますが、どれもこれも私自身が絶賛挑戦中なことばかりです。

「偉そうな人だなぁ」と思わず、
「あぁこの人もプロセスの渦中なんだな」
とご理解頂けると幸いです^^(笑)

 

【ソマティック(身体性)】とは?

こちらの記事をご参照ください。

●【概念編】
思考(左脳)と身体感覚(右脳)のちがい①~⑤・<最終章>
※<最終章>までの連続シリーズです。

●【本質編】
ソマティック(身体性)な探究~本質編~

●このブログでは、
【パーツ心理学】にもとづいて、
身体の細胞や感情に対して
“擬人的”な表現を多く用いています。
自分と向き合ったり、
感情と距離をおくことを優しく
手伝ってくれる神経生物学的な考え方です^^

————

もちろん、
“宗教肯定派カウンセラー”
としての活動も続けていきます。

宗教や信仰のお悩みをお持ちの方は
下記のコンセプトをご参照のうえ、
【宗教・信仰について】の記事
読んでみてください。

そこに
“心地いいな”と感じられたら、
ぜひ一度お問い合わせくださいませ^^

※私自身の宗教観についてはこちら

ご家庭の宗教や信仰が原因で生きづらさを感じている方へ

ご家庭の宗教や信仰が原因できゅうくつさやしんどさ、生きづらさを抱えている方を対象にカウンセリングサポートも提供しています。

このブログでは、こんな悩みを抱えている2代目・3代目信者さんがすこしでも楽に、そしてより生きやすくなれるようなヒントもご紹介しています。
※宗教や信仰に否定的なのではなく、むしろ肯定的なスタンスで運営しています。
伝統宗教、新興宗教そのあたりのすみわけもあえてしていません。
また、もちろんですが特定の団体への勧誘や扇動なども一切ありません。ご安心ください^^

おもにこんなお悩みを抱えている方へ・・

●ご家庭の宗教や信仰が原因で生きづらさを感じてしまっていませんか?

●真面目さや責任感から《自分の人生を生きること》に罪悪感を抱えていませんか?

●「あなたはどうしたいの?」という質問に答えられないことはないですか?

●恋愛に罪悪感・苦手意識はないでしょうか?

●朝起きたときに身体が重いのは当たり前、という状態ではありませんか?

実はこれ、すべて過去の私の悩みです。
仏教系新宗教を信仰する家庭に3代目として生まれ、小さい頃から信仰の価値観と隣り合わせの環境で育ちました。

中学生のときから、友人たちに「おばあちゃん」と呼ばれてしまうほど古風な思考傾向のあった私にとって、宗教や信仰というものの価値観とは特別に毛嫌いすべきものでもなく、大きく反発することもなく受け容れていました。

そしてずっと、それらの価値観から恩恵を受けていたことも事実です。

ところが大人になって、20代も後半になるにつれ、《自分の人生を生きること》を放棄しているという事実に向き合わざるを得ない状況がやってきました。

「自分の考え」など我欲だと思っていました。
「神仏の意向」こそ優先されるべきものと思っていました。
気づけば、“見守ってくれている(はずの)存在”たちに“見張られている”ような心境で生きていました。

だから自分でも知らないうちに、感じないように、考えないようにしていました。
そりゃあ呼吸も浅くなるし、身体だってだる重です。。

でもあとで気づいたことですが、これらの考え方や行動は、誰に強制されたわけでもなく、ましてや教義に沿ったものでもなく、神さまや仏さまに望まれたものでもなく、ただ私が《自分の人生を生きること》を放棄していただけのことでした(笑)

「感じない」、「考えない」・・・そんな生き方を神さまや仏さまが望まれているわけがないと今ならよく分かります。

でもたぶん、小さい頃から宗教や信仰の価値観とともに生きていると、少なからずこうした思考や行動のクセはついてしまうのではないかな?と思います。

とくにもともとの性分に『真面目さ』や『責任感の強さ』というエッセンスがあると、この傾向は強まります。《人生を放棄》なんてとんでもない。だれよりも人生について真剣に考えた結果がそれらの思考や行動だったんですよね。

そのあたりのことについてもブログで記事を書いていきたいと思っています。

「自分との向き合い方がわからない」

大人になるにつれ、気づかないうちに『宗教のための人生』を生きてしまっていたことに
気づいたり、違和感を感じたとしても、何から手をつければいいのかわからない状態かも
しれません。

必要なのは「自分と向き合うこと」ですが、私はどうしてもそこができませんでした。

というのも、例えば「自分と向き合う」ということについて大きなヒントになるもののひとつに
『心理学』がありますが、“自分が楽になるために心理学を学ぶこと”に罪悪感がありました。

当時の私にとって、この世界=信仰の世界観でした。

こんなに尊い教えが近くにあるのに、外のものに頼るなんてダメだ・・これでよくなっちゃダメだ・・
本気でそう思っていました。

まるで異なる宗教の信者にでもなってしまうような後ろめたさがありました。

信仰以外のもので、悩みや苦しみを解消しようとしてはいけない、という思いこみがあったからです。人のためならまだしも、自分に対してはできませんでした。

誰かに相談しようにも、これがなかなか難しい。。
信仰のなかでは、相談した相手を傷つけることになってしまうかもしれない。
信仰のそとでは、きっと気持ちをわかってもらえない。

限界を感じてカウンセラーさんを頼ってみるも、“宗教”というものへの警戒や共感めいたバッシングに心が折れてしまいました。

そんな私に一生もののヒントをくれたのは、漢方を処方してくれる中国薬膳の先生でした。

ある日こんな話をされました。
「僕があなたの身体の細胞だったら嫌になるわ。すぐに我慢するし、褒められても受け取らないし、もうこの人のために頑張っても甲斐がないから働くのをやめようと思うよ。」
という内容でした。

深い意味は分からなくとも、自分のことを後回しにしがちな自覚はあったので、なにか感じるものがありました。

そして私が始めたことは、トイレを我慢しないことでした。(笑)

まずはトイレを我慢しないことから・・少しずつ身体と仲良くなっていくことに取り組みました。

すると少しずつ、自分の本音がポツポツと聴こえるようになり、本来の自分とはどんな人なのか、本当に望んでいることも分かってきました。

私にとって「身体に意識を向けること」が「自分を大切にすること」そして「自分と向き合うこと」につながっていたのです。

最新の研究では、『身体の細胞ひとつひとつに意識がある』という仮説に対するエビデンスが次々に見つかっているのだそうです。
私自身の経験から、この検証結果は腑に落ちるものがあります。

『宗教のための人生』から『自分のための人生』にシフトチェンジ

身体をとおして「自分と向き合う」ということを続けること数年。

気づけば『宗教のための人生』から『自分のための人生』にシフトチェンジしていました。

“生かされている”という強迫観念から解放され、“生きていること”の充実感や幸福感をちゃんと味わえるようになりました。

「自分はこうしたいな~♪」
「自分はこう思うな~♪」

本当に不思議なことですが、こんなふうに一見自分本位に思える思考や行動をかさねていくうちに、“やっぱり生かされている”というところに戻ってきたのです。

でも身体の感覚が前とは全然ちがいます。

“生かされている”のだから、なるべく自分の足では歩かない・・・我慢!諦め!懺悔!(正しそうだけど、なんか重い)

“生かされている”のだから、しっかり自分の足で歩いて、できないところは委ねよう!・・・ありがとうございます♡がんばります♡(軽いけど、なんか頼もしい♡笑)

不思議なことに、信仰内で正しいとされていた生き方のレールからはまるっきりそれているのに、どこに行っても人に恵まれ、目標に少しずつ近づくための環境が自然と整っていたり、必要な情報が飛び込んできたり・・

もちろんいいことばかりではないけれど、人生に対する全幅の信頼があるので何が起こっても大丈夫。

「今ここに生きていること」がとても幸せです。

小さな頃から培ってきた【信仰心】というものが今こそ生かせている、そんなふうに感じます。

この心境の変化と体感の変化にもきちんとつながりがあります。

このあたりのことも記事にしていきますね。

あ、そしてとても恥ずかしいことですが、「信仰すること」こそが「自分と向き合うこと」の最たるものであることにも今さらながら気づきました。
まぁ言い訳ですが、2代目以降はどうしてもちょっと形からはいるとことがあるから、こうした大切な要素が抜け落ちるのかもしれないですね・・(笑)

ソマティック心理学(身体心理学)とは?

心理学的なアプローチをしたわけでもなく、でも人生まるごと変わってしまったような、この体験はなんだったのだろう?という強い好奇心に突き動かされ、いろいろな情報にふれるうちに、『ソマティック心理学』というものに出会いました。

別名『身体心理学』とも呼ばれる研究分野です。

身体に意識を向けたり、感情や感覚を身体から捉え、探究していくこと。その積み重ねのなかで「自分」というものを取り戻していく。この一連の流れがまさしく『ソマティック(身体性)』という分野で研究されていることに基づいていました。

現在、心理学の主流となっているのは、分析的で思考的な方法です。

カウンセリングの臨床現場でも精神的な部分と身体的な部分を切り離して扱われることが圧倒的に多いです。

でも実際のところ、こうしたフィジカルな(身体的な)アプローチは、精神分析学が発展した1950年代からすでに存在していました。

けれども、フランスの哲学者デカルトが提唱した「心身二元論」に由来する“心と身体は別モノ”という考え方や、キリスト教義に由来する“精神の優位と身体の劣位”という信条から、こうした身体的なアプローチは、すみに追いやられてしまいました。心と身体をホリスティック(包括的に)に扱ってしまうと、数値として証明しにくく、研究対象として非合理とみなされたところもあるようですね。

そうした医学的な波にもまれながらも、カウンセリング・セラピー文化がめざましく進歩する西洋の臨床現場ではソマティックなアプローチが積極的に採用されています。それだけソマティックなアプローチが効果的であり、パワフルであり、そして優しさに溢れているからです。

日本ではカウンセリングやセラピーの発展が遅れており、まだ体系化されてからの歴史が浅いため書籍や文献も少ないですが、これから15年から30年かけて日本の臨床現場にも広がっていくと見られています。

なぜか日本では『ソマティック心理学』の発展は西洋に比べてずいぶん遅れていますが、実はずーっと昔から、日本では「身体が心を表現する」という考え方がとてもなじみ深いものでした。

肩身が狭い、腹が立つ、腰がひける・・慣用句にも「身体で心の状態を表現する」というものがたくさんあります。

だからこそ、実は『ソマティック心理学』こそ日本人に受け容れやすく、カウンセリング文化の発展につながりうる可能性をおおいに秘めているように思います。


さて、

生まれたときから信仰の価値観と隣り合わせの環境に育つことは、“幼少期の両親との関わりが、その人の人生を左右する”という常識と、ほぼ同じくらいの影響力があります。

ところが、この死生観すら内包した価値観と向き合ってみたとき、今のカウンセリングやセラピーの現場で主流となっているような分析的で思考的な方法では対処がとても難しいのです。少なくとも私はそうでした。

【過去世の懺悔をするために、修行をするため生きなければいけない。そうでないとご先祖さまが悲しまれる】

例えばこんな信念をもっていたとして、それを『認知のゆがみ』として扱うなんてとてもできないのです。幼少期のトラウマとは似て非なる独特なものなのかもしれません。

そんなお悩みをもつ人にとって、分析的に原因を追究していくのではなく、『感情や感覚を身体を通して感じてみる』というのはとても取り組みやすい方法です。

まずは“足の裏が地面に触れていることを感じながら歩いてみましょう”というところから始めて、だんだんと『なんだかこのことについて考えるとお腹が痛いな・・この考えをもつことを自分はあまり良いと思っていないのかも・・』という気づきに至っていく。

外側から押しつけたり、引っ張りだそうとするのではなく、内側から湧いてくるものを大切にしてみる。

なんとも優しいプロセスですよね。正解を決めつけない、というのもいいですよね。

そんな『ソマティック心理学』にもとづいた、「宗教(信仰)のための人生」を「自分のための人生」に変えていくための方法をブログの記事でもたくさんご紹介させていただきます^^

『ソマテック心理学』について、詳しくはこちら^^

【信仰心】というもののパワフルさ

宗教や信仰を目的にするのではなく、手段のひとつとして距離を保てるようになったとき、あらためて宗教や信仰の尊さに気づかされます。

その視点に立ったとき、日本の宗教観というものに疑問を感じずにはおれません。

『宗教・信仰』が『カルト的存在』として十把一絡げに扱われているような・・・
でも文化的な背景を考えてみたとき、それは仕方ないものなのかもと思ったり。

そのあたりの考察も記事にできればと思っています。

とにかく、宗教や信仰のある家庭に2代目・3代目に生まれた信者さんが『自分のための人生』を生きられるようになると最強だと思います。
幼いころから生活のなかに当たり前に神仏やご先祖さまの存在があり、魂に根づいた【信仰心】があるということは本当はとてもラッキーなことです。生かさないのはもったいない。

だけど、実のところ、宗教が苦しみの種になってしまっている2代目・3代目の方はたくさんいます。

だからまずは『宗教の中に自分の人生がある』のではなく『自分の人生の中に宗教がある』という部分に立ち返るところから。

大丈夫です。
怖いものなんてなにもないし、頭がぐちゃぐちゃになってきたら身体に聴いてみたらいいかもしれません。

きっと、ちゃんと教えてくれます。

・・そんなふうに、あなたの真ん中に軸がある状態でもう一度、宗教や信仰にふれてみてください。

あなたがもともともっていた純粋な信仰心が、
以前よりもずっとずっとあたたかく幸せな世界へあなたを連れていってくれます^ ^

この世界は、あなたが“あたたかいものだ”と思えば、あたたかいものです。
決して、宗教や信仰に従順だから、その恩恵だけであたたかいわけではないことがわかってほっとできるかもしれません。

もしも今、信仰しているものがあなたに縁にないものであれば、あなたを傷つけるものであれば、あまりに傲慢さを孕んだものであれば、ちゃんと人生と切り離していくことができます。

一人でも多くの信者さんが【信仰心】という大きなリソースを生かして生きていけるお手伝いをするために、探究の日々を送っています。