生命体としての「選択」

前回の記事で、
3月に突然訪れた屋久島から帰って
人生初めての「アルバイト」を始めたことを綴っていました。

屋久島の「湯泊海中温泉」に浸かりながら、
【Cell ラボ】がもつ大切なエネルギーに
「日常」のアップデートが含まれている、
ということに気づかせてもらいました。

人間がより人間らしさを取り戻すことを手伝ってくれるさまざまなサービスは、
多くが「非日常」な空間でのリトリートや「特別なメソッド」を用います。

でも、
もうちょっと「日常」にもヒントを見出してもいいのかもしれない。

特に、
「自分を大切にすること」や
「自分にとっての成功や幸福」の意味や方法…

そうしたことは、
私たちはもうすでに「知っている」ような気がしてなりません。

もしもそれを「知っている」のだとして、
それを「思い出す」ためには、
しっかり『感じる』ということの向こう側にある『考える』という行為が不可欠なのかもしれない。

波打つ海を眺めながら、
そんなことを思いました。

このプロジェクトのコンセプトは、
「非日常」ではなく、
「日常2.0」のようなもので、
いわゆるリトリートに象徴される「非日常」ではなく、
「日常」のアップデートの提案になるのかもしれないなぁ。

「感じる」の向こうにある「考える」

ここで提案していくことは、
「日常2.0」のようなもので…
とは思いながらそれがどんなものなのかは
よくわからずにいました。

そして、
その「海中温泉」のあとに
乗り込んだフェリーの中で
“ 帰ったらバイトしよ! ”
という直感を受け取り、
それに素直に従ってみたら
早朝のカフェバイトに精を出す日々が始まりました。

ワンオペ体制で大変だけど、
それが日々楽しくて
お昼には仕事が終わるので
身体を動かして巡ったエネルギーで
クリエイティブな時間を過ごしています^^

そして、
【Cell ラボ】にバイトが与えてくれる「栄養」とは?
という問いにも向き合います。

「問い」に向き合うって
不思議なのですが、
わざわざ時間をとって
対峙するとかそんなことでなく、
頭の片隅でちょっとアンテナを立てておく
という感じでいると、
風に飛ばされた洗濯物が引っかかるように
ふと気になるヒントがアンテナに引っかかるんです(笑)

今回も飛んできた洗濯物が引っかかりました。

友人とこのバイト生活の話をしていたときのこと。

「労働」=「楽しくない」という
当然のように受け入れられた方程式
にあらためて気づかされました。

今、
「働き方改革」が積極的に進められますが、
その前提が「労働」=「楽しくない」
なっていることを強く感じます。

そんな楽しくない「日常」を挽回するための
「非日常」も数多く提供されています。

前衛的な主張でも
「仕事」と「プライベート」をしっかり分けようというものがあります。

そもそも
「分けられる」ものになっているのは
なぜなのか?も探究したいところです。

なにかこう、
“ 閉じられた場所 ”にいるような
そんな感じがしてしまいます。

この「屋久島」からの「バイト」を経て、
5月に訪れた「直島」での探究もあって
【Cell ラボ】のコンセプトはこのように表現されることになります。

| 【Cell ラボ】とは?

その「固定化」された
「知識」や「情報」に根差して
ものごとを考えることもときには必要です。

その姿勢が「有」からものを考える、だとすれば
この【Cell ラボ】では
「無」からものを考える姿勢を大切にしたいと思っています。

【Cell ラボ】とは?

この
「無」からものを考える姿勢、の「無」とは
この探究においては、
生命体としての「私」です。

この社会に生きる、
この仕組みの中で生きる「私」ではなく
生命体としての「私」です。

今回のことで身を以て知ったことは、
「事業主」だから自由で
「雇われている」から不自由、
というわけではないということでした。

「自己実現」がブームのようになって、
起業することが「自由」の代名詞のようになりました。

そのことに対して、
少し違和感のようなものは感じていたものの
それがこの経験でようやく肚落ちしたような気がします。

「自由」であるかどうかは、
働き方や雇用形態のちがいではなく
「生命体」としての選択をしているかどうかだ、ということでした。

つまり、
「生命体」としての選択ならば
“ 働かない ”もあり得るということです。

それを考えると、
この社会に生きる、
この仕組みの中で生きる「私」のままでは
その選択はできそうもありません。

「生命体」と表現すると
ちょっと宇宙人ぽいイメージになってしまいますが、
つまりは「命」のことです。

そう順序立てて聞けば、
もちろん「命」に身をゆだねた選択をしたいですよね。

でもこれ、
現実問題を考えると
難しいような気がしてきます。

それくらい
この世界は「資本」に翻弄されている、
ということなんだと思います。

『命を大切に…』
と容易く言葉にできるのに、
「命」に身をゆだねた選択はできない世界です。

「いやいや、
その命を守るために働くんじゃないか!」
という考えも浮かんできそうになりますが、
それは本来の「命」には関係ありません。

この世界の「仕組み」側の事情です。

このブログでは、
これまでたびたび「資本主義社会」について
探究してきました。

| 【資本主義社会】にも原因がある
| 「愛される」より「愛したい」
| この世界の「正解」の外にでる


これらのことは、
私自身がいろんなことを探究し、
自分なりの言葉で理解し考えていたことです。


なので、
「誰かがこう言ってたから」とか
「あの媒体が配信してたから」とか
「そういう話を聞いてたしかにそうだと思った」
みたいなことではありません。

だから些細なことではブレないものがあります。

何者でもない私が気づき得ることなど
たかが知れているのは承知の上ですが、
それでも大切にしていきたいと思っています。

そうした探究の日々を過ごしていると、
同じようなことを考えている人たちに出会います。

もはや出会う人たちは
「研究所」や「ラボ」だらけ(笑)

その人たちが
感じていること、考えていること、
また実験していることを聴き、
さらにこの探究を深めています。

同じようなことを観ていても、
その視点や視座にはいろんなものがあり
とても心強い大切な学びになっています。


プロフィールにもこんなことを書いています。

このプロジェクトを育てながら、
いろんな人や環境とのご縁を頂いています。


そこで心から感じることは、
「体現」に勝るコンテンツはない、ということです。


たとえば、
『自由』に生きることを望むとき
『自由』になるための方法を教えてくれる人ではなく、
『自由』な人の在りように触れることが私にとって最上のコンテンツです。


『世界の変化』に関わることを望むとき、
その方法を教えてくれる人ではなく、
『世界の変化』そのものになっている人の在りように触れることが私にとって最上のコンテンツです。


また同時に学んだことは、
「コンテンツ」を求める在りようではこうした「体現者」に出会えない、ということです。


「体現」というコンテンツ

冒頭の「問い」に戻ります。

【Cell ラボ】にバイトが与えてくれる
「栄養」とは?

…それは、
「日常2.0」を私自身が体現する
ということでした。

【Cell ラボ】の最たるコンテンツが
「体現」に向かっていることの一端を、
身をもって経験していたのです。

これがバイトが【Cell ラボ】に与えてくれる「栄養」でした。

なにがその人にとって
「日常2.0」なのかは人それぞれです。

抽象度を上げて、
それを「フレームワーク」にすることも
できるのかもしれないけど
【Cell ラボ】はどうやらそれを望んではいないようです。

【Cell ラボ】にとっても
個人での仕事を続けたほうが人脈やスキル
のことを考えても「栄養」になりそう。

けれども、
その「栄養」はとても過保護で
わざとらしい感じがする。

生命体としての「アルバイト」①

このとき感じていた
“ わざとらしさ ”の原因は、
その人脈やスキルが、
「コンテンツ」に向かうための
「栄養」だったからでした。

「コンテンツ」を創ることが大事なんじゃない、
「そうする」ことの方が今は大事!

そういうことみたいです^^

今、少しずつ
「資本」に翻弄される世界から
「命」に身をゆだねる世界に変わろうとしています。

そこに取り組みはじめた人が
増えています。

全体からみれば圧倒的に少数だけど、
増えていることは確かです。

だから私は
そこの解像度をあげることに
寄与していきたいと思っています。

この世界の転換へのチャレンジのなかで
「ビジネス」の捉え方、
というのは誰にとっても課題になります。

「ビジネス」を究めて、
稼ぐことや収入を得ることから
卒業した人。

逆に
まずはそこを越えるという意味で
「ビジネス」に挑む人。

そもそも
「ビジネス」をしない、
を貫いている人。

いろんな人が
いろんな形で実験しています。

どれが正しいではなく、
どれが「最適配置」かを
自分で探るプロセスに意味があると思っています。

私は「ちがい」が大好きで、
みんなが同じことをするのはつまらないと思う性分です。

| 転換期に細胞が教えてくれること


個人事業主として、
カウンセリングの仕事を始めたとき、
「ビジネス」のセオリー通りに
明確にターゲットとベネフィットを示したところ、
クチコミでクライアントさんと数珠つなぎに
ご縁をいただける流れが起こりました。

詳しくは
次回の記事にしようと思いますが、
そのときに嬉しさややりがいよりも
戸惑いのほうが大きかったのです。

私が、
これがあなたにとって「問題」ですよね?

と提示したら、

それが「問題」だったと気づいた方がいた。

自分で提示しておきながら、
本当にそれは「問題」だったのかと
振り返ることも少なくありませんでした。


この経験は、
それまで観えていなかった
この世界の「仕組み」の側面を知る大切なきっかけとなりました。

「個人格」としての「ビジネス」
「法人格」としての「ビジネス」
そこにどんなちがいがあるのか?

それほどちがいはなく、
フラクタルなものなのか?

一体「ビジネス」ってなんだろう?
真摯にそこに向き合いたいと思いました。

今の「最適配置」

さて、
今の私にとって
どんな形が「最適配置」なんでしょう。

【Cell ラボ】を我が子として
信頼で見守ることを始めて…

そこにあるコンテンツは
「体現」であることがわかってきて…

バイトを思いっきり楽しむ♡
という「日常2.0」を勝手にやりだして…(笑)

起こってきたプロセスをまとめると、

💡「バイト」というライトな仕事を思いっきり楽しんでエネルギーを醸造する♡

💡自分の「命」と想えるプロジェクトでは、マネタイズを前提にしない。

これは
転換期真っ只中の「資本主義社会」で
報酬を得る方法として、今の私には最適解でした。

これが
熟成的な「直観(intuition)」だとすると、
瞬発的な「直感(inspiration)」がいかに
的を射たものをもたらしてくれているかが
みえてこないでしょうか。

私たちは、
あらゆることをもう「知っている」

という可能性をいよいよ私は否定できません。