「.Cell」という生命体の声を聴き続ける母子手帳ブログ

【ポスト資本主義社会】を探究してみる①

《組織づくり》のさきにみえたもの

前回までに
“隙あらば探究”ノススメ
をテーマにコラム記事を書きました^^

この“探究”というものが冗談ではなく
これからきっと本当に大切になっていきます。

今回は、
私が“探究”についてを発信する理由について
経済社会の視点から記事を書いてみますね。

——–

ソマティック(身体性)な探究から
みえてきたことをずーっとたどると
《組織づくり》がみえてきました。

そしてそこをさらに進んでいくと…
次にみえてくるものは《経済社会》ですよね。

実は《経済社会》というテーマの探究に
少し躊躇していました。

「いやもうテーマが大きすぎるよー泣」

そんな【思考】の声とは裏腹に、
探究に必要な情報はつぎつぎともたらされます。

✓ 実家に帰ったとき母がくれた新聞記事
✓ 美容院で読んだ雑誌に載っていた対談
✓ YouTubeの“後で見るリスト”
✓ 忘年会で交わした会話の内容
✓ 年末の断捨離で“読みたい本”の箱にわけていた本

まさしくこんな感じです(笑)

【身体感覚】にまかせて過ごしていると
やっぱり必要なものは勝手にもたらされるようです。

(このプロセスについては、
こちらの記事を^^)

そんなわけで、
宇宙の采配に降参することにしました…

お待たせいたしました(笑)

《組織づくり》のさきにみえてきた
《経済社会》というテーマを少しずつ
進んでいくと…
そこにあったのは、
やはり“自分らしさ”というエッセンスです。

——–

私は自己啓発本を読むことが
あまり得意ではありません。

自己啓発の類を知ったところで
合わないことはやらないだろうという
自分の性分もわかっていたので読まず嫌いでここまできてしまいました^^;

ただ、
社会人になってからは
“そもそも仕事ってなに?”
ということだけは知りたかったので
松下幸之助やドラッガーの本だけは
バイブル的に愛読していました。

大学に進学するつもりで受験勉強しかしておらずバイト経験すらありませんでした。

結局は高卒で就職することを選んだのですが
“働くこと”についてなにも分かっていませんでした。

そんな新社会人だった私は
松下幸之助の『社員心得帳』を胸にしのばせ
日々奮闘していました。

高卒の一般職社員ながら、
心意気だけは松下幸之助仕込みという
なんともほほえましい過去です(笑)

でも今思うのは、
“高卒の一般職社員ながら”
そうしたスタンスでいようとしたことは
10年以上経った今に活きています。

こんなに《個人》が変わることが
求められる時代がくるなんて思ってもいませんでした。

あの頃、
そうしたスタンスでいられなかったら
今こうして何者でもない自分が
なにか発信をしようなんて思えたか…
当時のバカ真面目さに今さら助けられています。

少し話がそれてしまいました、
もどしますね。

そうした松下幸之助や
ピーター・ドラッガーに共通していたのは
【仕事を通した社会への貢献】
という根本的な思想でした。

近江商人の【三方よし】
(自分よし・相手よし・社会よし)
にも同じようなものがありますよね。

でも正直、
これまでの経済社会を見渡すかぎり、
そうした思想は理想論としか思えない節もありました。

しかし今こうして、
探究を深めてみえてくる経済社会には、
それが理想論には終わらないのではないか
という希望を見いだすことができます。

【仕事を通した社会への貢献】
という思想が現実味を帯びてきた理由は
“自分らしさ”が許されはじめたからにほかならないと感じます。

“ジェンダーの質のバランス”の記事でも
探究してきたように、
私たちの社会は《男性性》と《女性性》の
バランスをうまくとっていこうという流れのなかにいます。

この《女性性》を取り入れた変化は、
【成熟】をもたらします

松下幸之助、
ドラッガー、
三方よし。

原理原則でありながら理想論とも思えた
【仕事を通した社会への貢献】の現実化は
《女性性》を取り入れた成熟によって果たされるのかもしれません。

一人ひとりが《女性性》を取りもどすことで
本質的な私たち(魂)に触れることができます。

本質的な私たち(魂)に触れることなく
【仕事を通した社会への貢献】を
目指しても、たどりつくさきにあるものは
枯渇であり疲弊でした。

・・・そうなんです。

《人体観》でも《組織づくり》
でもみられたように、
これまでの《経済社会》のデザインも、
やっぱり“トップダウン”な在り方だったんですね。

外側のデザインに合わせるように
必死で働くことを求められ続けてきました。


そんな“トップダウン”な

経済社会の在り方のなかで
【仕事を通した社会への貢献】
なんて目指したところで行きつく先は
自己犠牲であり、疲弊であることは当然の流れですよね。

それではこれまでの
《経済社会》のデザインについて、
もう少し詳しくみてみたいと思います。

【資本主義】と【社会主義】

《経済社会》という文脈で双璧となるのが
【資本主義】と【社会主義】です。

★【資本主義】とは、
自由競争を優先した経済社会。

☆【社会主義】とは、
平等を優先した経済社会です。

——–

★18世紀イギリスの産業革命から
【資本主義】は本格的にはじまります。

ロンドンで世界初の万博が開催され、
世界に先駆けて産業革命を成功させた
イギリスはその繁栄を謳歌します。

しかし
1800年代の後半には
「大不況」と呼ばれる景気の低迷期を迎えます。

過剰な生産でものがあふれ、
物価が下落して会社の売上も落ち込む。

人々の収入が減り、
貧困にあえぐ労働者が増えました。

【資本主義】の国々にとって試練のときです。

☆そんななか【社会主義】国家であるソビエト連邦が登場しました。

平等を優先し、競争がなくなったことで
平和がもたらされたように思われました。

しかし競争することのなくなった人々には
覇気がなくなります。

そんな生気を失った人々を統率するために
高圧的な政権が誕生し、結果として国民を弾圧していくことになります。

そして、
平等の名のもとに独裁を続けていたソ連は、
1991年には崩壊してしまいます。

★そこで人々のあいだには、
“やはり資本主義が唯一の経済システムだ”という見方が強まります。

2008年のリーマンショック。
デジタル化による工場と雇用の激減。

IT企業が必要とするのは高い技術をもつ一握りの人材。

所得は二極化の一途をたどります。

そして2020年コロナ禍が生活を直撃。
今、世界中が混乱の渦中にいます。

——–

ソビエト連邦崩壊の学びから
なんとか【資本主義】優勢でやってきました。

もちろん“競争”そのものが悪いわけではありません。

【社会主義】の崩壊からもわかるように、
“競争”が原動力となって人々に生気をもたらすという側面もあるんですね。

終戦後の先進国では
一人あたりの所得水準が上がり、
平均寿命も大幅に伸びました。
政治への参加意識も高まって民主主義も発展、人々は自由を享受してきました。

だから【資本主義】が“悪”というわけではないんですね。

しかし一方で
あくなき利益の追求が根本にある【資本主義】では効率を最優先にします。

人々や自然の豊かさ(公益)を無視して暴走してしまうリスクがあります。

人間の根底にある「より多く儲けたい、より良い生活を送りたい」
という欲求を利用した仕組みだからなんですね。

少数の投資家(地主や株主も含む)が
労働者が生みだす利益をかっさらってしまい、その利益が循環しなくなっていることも問題のひとつです。

つまりここからみえてくる問題点には、
✓ 公益(人々や自然の豊かさ)への無配慮
✓ 資本が循環しなくなることでの格差の拡大
✓ 資本をベースとしたピラミッド構造
こうしたものがあります。

このように今の経済社会を眺めてみると、
「どうやって《全体》をコントロールするか?」
という考えが前提となったデザインに合わせて、私たち個人が突き動かされてきたことがよくわかります。

イメージにすると《全体》⇒《個》のベクトルで世界が動いていました。

——–

どの角度から探究してもみえてくることは
私たちは想像以上に外側(仕組み)に翻弄されているという事実です。

これまでの経済社会を眺めてみると、
【全体性】への配慮はあったとしても
個人が力を発揮するという視点はまったくありませんでした。

けれど、
コロナ禍で急速に変化した意識
の記事でも探究してきたように、
着実にこの世界は“進化”しています。

岐路に立たされた経済社会は、
今さまざまな試みのなかにあります。

このさまざまな“試み”のなかで
とても重要視されていることは、
これまで無視され続けてきた
《個》が力を発揮する、という視点です。

社会が変わるから個人が変わるのではなく、
個人が変わるから社会が変わる、
という本質的なアプローチが始まっています。

そこでみえてくるキーワードが
【バランス】であり
【つながり】です。

このブログで探究してきた
✓ 人体の仕組み
✓ 自分らしさ
✓ パートナーシップ
✓ ジェンダーの質
✓ 組織づくり
これらのあらゆるテーマでも同じキーワードが登場してきましたよね^^

これがとても不思議なことなのですが、
たとえば《人体の仕組み》について
記事を書き進めていたとき、
その探究が《経済社会》にたどりつくとは想像もしていませんでした。

でも
たどりついたどのテーマの探究にも
【バランス】と【つながり】
という共通したキーワードの存在がありました。

これはきっと
【バランス】と【つながり】
というものが本質レベルのもの
(私たちの生命をベースにすると
魂レベルのもの)であるということを示しているのだと感じます。

——–

【資本主義】が悪いわけではない、
だけど今のままの資本主義ではもう限界だ。

そんな潮目を迎えた今、
【資本主義】か【社会主義】か?の
これまでのような二元論ではなく
社会主義のエッセンスを内包した資本主義
=“ポスト資本主義社会”という在り方が注目されています。

そしてこの“ポスト資本主義社会”にこそ
【バランス】と【つながり】
というキーワードがとても大切になっていきます。

ポスト資本主義社会とは?

これまでにみてきたように、
限界を迎えつつある【資本主義】は
あらゆる人たちの活動や提唱によって
“ポスト資本主義社会”の方向へ動き始めています。

(一言で“ポスト資本主義社会”といっても
その考え方は多岐にわたります。
ここでご紹介するものはそのなかのひとつと
ご認識いただけると幸いです^^)

前述したように、
これまでは
「どうやって《全体》をコントロールするか?」
という考えが前提となったデザインをベースに個人が動いてきました。

《全体》⇒《個》のベクトルでしたよね。

これからの
“ポスト資本主義社会”でベースとなるのは、
個人一人ひとりの内的動機です。

一人ひとりが本質的なところを体現すると
全体はどうなっていくのか?
というところにフォーカスされていきます。

たとえば、
これまでの【資本主義】のデザインだと
責任の量に比例して報酬も上がっていきます。

けれどその会社のリーダーの内的動機
「自分がやりたいことをしたいから
会社を立ち上げただけ。そこに共感してくれるメンバーと仕事がしたい。」
というものであれば、
責任そのものをメンバーに分散し、
報酬や株式も均等にするという方法を検討することもできますよね。

デザイン(仕組み)ありきではなく、
個人はどうしたいのか?で方向性が決まります。

つまり、
ベクトルの方向性が《個》⇒《全体》に変わっていくようなイメージです。

 

そうなってくると、
《組織づくり》で探究した
【自分とつながること】との関係性
さらに俯瞰的にみえてこないでしょうか^^

ソマティック(身体性)×組織づくり
の記事から少し引用してみますね。

ティール組織のスタンスにもあるように、これからの組織づくりにおいては、働く時間・働く場所・担当する領域、そして報酬すら個人の意思にゆだねられていく傾向にあります。

 

とんでもなく“自由”なんですね。

 

だからこそ、ティール組織づくりの実現は簡単ではありません。

 

でも考えてみればそうですよね。

 

「僕はクリエイティブな作業だけして、週●日働きます。報酬は●万円で。」

 

メンバー個人の意思のもと、そうしたことを決めていくわけです。

 

そのうえで“一人勝ち”ではなく、“チーム全体の目的達成”を目指していくんですね。

 

もれなくメンバー全員が【自分とつながる】ということができていなければ、ティール型の組織は機能しない、といわれています。

 

組織の“自由”には、
個人の【自律】が不可欠です。

 

【思考】だけフル稼働させて、
分析的な自己理解や体裁だけ
取り繕っても片手落ちなんですね。

 

一人ひとりが
“なにが得意で、なにが不得手なのか”
“なにが好きで、なにが嫌いなのか”
“なにが快で、なにが不快なのか”
“なにが許せて、なにが許せないのか”
“なにが生きがいで、なにが徒労なのか”…

 

こうした自分の深いところを、
ほかでもない自分自身が受けいれ、
それを言葉と行動にしていく必要があります。

 

そうした【自律】のスタンスによって
お互いのバウンダリー(境界線)と
リスペクトを保つことができ、
組織全体の柔軟性へとつながっていきます。

 

引用:過去記事「ソマティック(身体性)×組織づくり」


これまでは、

一人ひとりが
《内側》よりも《外側》に力をもたせること全体のシステムが成り立ってきました。

これまでのつながり方をイメージにすると
こんな感じ↓です。

《外側》にパワーをもたせているために、
カリスマやインフルエンサーによる支配
成り立ちやすかったり、
《内側》のパワー不足のために
《外側》で勝つことに躍起になったり、
自分の正義を相手に押しつけてしまいやすい傾向にありました。

では、
これからのつながり方はどのようになっていくのでしょうか?

一人ひとりが
《外側》に明け渡してしまっていた力を
《内側》に取りもどすことによって、
【自律】のスタンスが育っていきます。

《内側》と《外側》のバランスが
きちんととれているので、
《外側》に支配を生むこともないし、
《外側》で勝利や押しつけをする必要もなくなっていきます

これからのつながり方をイメージにすると
こんな感じ↓です。

なんだか、
一人ひとり《個》の変化が
社会《全体》に変化をもたらすことの
可能性がすこし感じられないでしょうか^^

またしても長くなってしまったので、
記事をわけますね。

“ポスト資本主義社会”について
具体例も交えながら探究を深めてみたいと思います^^

——–Q.「ソマティック(身体性)とは?」

●【概念編】
思考(左脳)と身体感覚(右脳)のちがい①~⑤・<最終章>
※<最終章>までの連続シリーズです。

●【本質編】
ソマティック(身体性)な探究~本質編~
●このブログでは、
【パーツ心理学】にもとづいて、
身体の細胞や感情に対して
“擬人的”な表現を多く用いています。
自分と向き合ったり、
感情と距離をおくことを優しく
手伝ってくれる神経生物学的な考え方です^^

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この記事を書いた人

柴田 季世(満世)
柴田 季世(満世) 当サイト「.Cell」を運営。

セルピスト(Cellpist)として「.Cell」を育成中。

さまざまな「文脈を越えて考える人」たちとつながり、新時代の可能性を探究しています。
セラピスト(therapist)と響きは似ていますが、体現していくことは「癒し」ではなく「洞察の実践」でありたいと思っています。

※サイト名「.Cell」(ドットセル)は、「細胞(cell)」に由来します。