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育まれるもの
前回の記事では、
【思考】【感情】【身体】【スピリチュアリティ(魂)】
といろいろな視点から細胞さんたちと出会ってきました。
その角度によって、
みえてくるものがちがうけれども
“なんとなくつながっている”
ということを感じていただけたでしょうか。
『細胞教室』で育まれることのひとつは、探究力です。
それがなぜなのか、
ソマティック(身体性)がもっている
ハブ力(りょく)に着目することでみえてきます。
このブログでは
【細胞のはたらき】
【人体観】
【自分らしさ】
【自分とつながる】
【パートナーシップ】
【組織づくり】
【経済社会】をおもなテーマとして
《内側》から《外側》に派生していくような形で探究を続けてきました。
こんなイメージのように
《内側》から《外側》への派生して探究が深まっていきました。
とても不思議なことなのですが、
私が「細胞と仲良くなる」ということを
はじめた頃にこうした流れがみえていたわけではありません。
よくわからないけど、
身体から力がぬけていくほどに
【視座】があがっていくような感覚です。
これは「意識が高くなる」というよりも、
自然と俯瞰的になっていくような感じなんですね。
自分の身体の《内側》と同じ仕組みが
《外側》の世界にも存在している、という気づきがその【視座】を高めていってくれました。
実はこれ、
ソマティック(身体性)という心身一如な考え方が
あらゆる学問領域をつなぐ“ハブ”の役割を
果たしてくれているからこそ起こる気づきなんです。
一般的に“ハブ”といえば、
こんな感じ↓であらゆるデバイスを
つないでくれるネットワーク上のものを
想像される方が多いと思います。
ネットワークにおける“ハブ”と同じように
【ソマティック(身体性)】にも
「車輪の中心」としての役割があります。
つまり、
あらゆる専門領域をつないでくれる力
があるんですね。
(図案引用:「ソマティック心理学への招待」 久保隆司・著)
イメージを見て頂くとわかるように、
一見まったく無関係とも思える領域も
「ソマティック(身体性)」を介することで
“つながり”が生まれます。
『細胞教室』で
細胞さんたちと出会ったお子さんが、
将来どんな分野に進むとしても、
その根っこにソマティック(身体性)の土台があることで
一人勝ちの発想にならず、
むしろあらゆる領域と統合していくことが
全体の発展につながっていくという発想が
自然と生まれることをアシストできるといいなぁと思っています。
“逆引き”の発想
細胞教室の在り方として
大切にしているのは“逆引き”の発想です。
たとえば、
【フラクタル理論】という言葉があります。
【フラクタル理論】とは?
複雑で不規則な図形では、どの微小部分にも全体と同様の形が現れる自己相似性がある。
したがって部分を次々に拡大すれば全体の形が得られるとする理論。
「フラクタル構造」または「入れ子構造」とも呼ばれる。
なんだか難しい言葉が並びますが、
つまりは、
「部分にすべて(全部)があらわれている」ということです。
こんな感じで、
部分(葉っぱ)には、
全体像(樹)と同じものがあらわれています。
この「フラクタル理論とは?」を知りたければ、
Google検索で1秒かかりません。
下のイメージだと、
A ⇒ B なら、1秒ですむということですね。
では、
B ⇒ A だとどうでしょう?
“小さなスケール”にあらわれていることが
“大きなスケール”にもあらわれているかも?
という仮説検証から、フラクタル理論という言葉に辿り着くには
もっと長い時間がかかります。
恥ずかしながら、
私は「フラクタル理論」という言葉を知らなかったので、
細胞さんたちをベースにいろんなことを眺めているうちに、
あれ?と思って、こんなワードでGoogle検索をするに至りました。
【大きい 小さい 同じこと】
たしかこんな並びで検索したのですが、
「針小棒大」という言葉が並ぶ検索結果の中に
ふと「フラクタル理論」という言葉を見つけました。
「わ!これだーーーーーー!」
「フラクタル理論」を知っている人からすれば
当然の事実に、数か月かかって辿り着きました。
その代わり、
時間をかけただけのギフトがありました。
“逆引き”には自分で考えてみる、
という余白が与えられています。
その余白にはきっと無限の可能性があります。
今、教育の世界も
「A ⇒ B」の考え方から、
「B ⇒ A」の考え方にシフトしてきています。
(探究学習については、こちらの記事を^^)
『細胞教室』という実験をやっていくのに、
マーケティングの考え方も“逆引き”でしてみたいと思っています。
マーケティングとは?
集客とは?を起点にするのではなく、
『細胞教室』をなぜやるのか?
そこで蒔きたい種はなんなのか?
そこを起点に考えたとき、
もしかしたら必要なのは「集客」ではないかもしれません。
安直にベネフィットが示され、
それによって集客がなされることは
細胞教室の目的と矛盾が生まれてしまいます。
『細胞教室』に、コンテンツとしての
ラベルを与えることはとても難しいです^^;
その葛藤についての記事を、引用してみますね。
「ビジネス」と一言でいっても
いろんな定義があるかもしれませんが、
概ねこの↓表現であらゆるものは内包できると思います。
「ビジネス」
人々に【快】を与える、もしくは
人々の【不快】を取り除くものに価値が生まれる。
起業ブームが落ち着いた今、独立することも普通になりました。
〇〇な状態の人が
□□によって、
◇◇な状態になれますよ!
という定石も見慣れたものになりました。
この定石に象徴されるように、
人々の《ニーズ》が存在して
初めてビジネスが成り立つ、とされています。
でも…
なんかこれまでの探究をつないでみたとき、
なんだか違和感を覚えるようになりました。
その《ニーズ》って本当に
人々から自然と生まれたものなのかな?
【資本主義社会】というフレームによって、
《ニーズ》が生まれているという見方ができなくもありません。
【資本主義社会】が与えてくる情報によって
私たちは恐らく“不足感”を植えつけられています。
本当に《便利》なほうがいいのかな?
本当に《早い》ほうがいいのかな?
本当に《楽》なほうがいいのかな?
本当に《高い》ほうがいいのかな?
本当に《溺愛》されたほうがいいのかな?
本当に《脱毛》はしたほうがいいのかな?
本当に《生きづらさ》ってよくないのかな?
さっきのひっくり返したマズローを
そんな視点から見直してみると
こんな様相がみえてきます。
モノやサービスを売るために、
“足りていないこと”
“もっと欲しがること”にフォーカスさせる必要があります。
一人でも多くの人間が、
“愛されなければ!”で生涯を終えないと、
【資本主義社会】が維持できないんですね。
ベネフィットが示されることなく、
日常のなかで、ふっと細胞教室と出くわす。
狙ってるベネフィットも、 解消したいお悩みもないけど、
そんななかで、「細胞たち」という角度との出会いがある。
まずは、面白がって細胞さんたちを信頼してみよう。
そんなシチュエーションづくりを大切にしていきたいと思っています。
「細胞たち」との純粋な出会いによって、
「細胞たち」を受け容れることができます。
それは、
「身体」を受け容れることにつながります。
そして、
「出来事」を受け容れることにつながります。
どうして「身体」を受け容れることが、
出来事を受け容れることにつながるのか?
そのことについては、
こちらの記事がヒントになるかと思います。
大切にしている世界観
たとえば、
「ナチュラルキラー細胞」は自分たちがこれからどうなるかなど“未知”の状態で、
それでも「ナチュラルキラー細胞」として存在し続けます。
「ナチュラルキラー細胞」が「脳幹細胞」になろうとすることはほぼありません。
その結果、私たち人類の進化がある、という事実があります。
どうして私たち人間の社会は「脳幹細胞」になることを煽って来るのか?
どうして「ナチュラルキラー細胞」としての生を受けたのに、「脳幹細胞」がイケてると思い込まされているのか?
「脳幹細胞」になるために、力んで踏んばって、努力して・・・
この細胞教室では、
「ナチュラルキラー細胞」が「ナチュラルキラー細胞」としてあり続けていたから、
進化が自然に起こってきた、、という事実をもっと信頼していきたいと思っています。
「私」が「私」としてあり続けることが、
自然な進化をもたらしてくれる、、この事実をもっと信頼していきたいのです。
「私」を置き去りにして、
外側の仕組みに翻弄され続けていると
いろんなものを曲解してしまいます。
例えば、
お金というものの認識も歪めてしまいます。
なにかが巡る媒体としてお金が介在しているだけであって、
お金そのものに本来そこまでの力はありません。
なのにお金が過剰に評価されてしまっていることで、
「ナチュラルキラー細胞(私)」として生き抜くことが難しくなってしまっています。
“流されること” と “流れにのること” は似て非なるもので、
“流れに乗る” とはつまり、自分を生き切ることです。
(自分を生き切ることで流れにのる)
「脳幹細胞」になって、お金を得なければ!と
お金に過剰な力を持たせることは “流されること” に直結してしまいます。
(外側の仕組みに翻弄されることで流される)
お金もビジネスもきっと悪いものじゃない。
むしろ過剰な力を持たせることをやめてみれば、
経済活動というものは命の本質を教えてくれるものかもしれない。
少しでも “流れに乗る” にシフトしていくことをアシストしてくれるのが、
『信頼する』のもつちからだと考えています。
一人ひとりが探究力たくましく自由に生きる世界。
私たちは本当は愛されるより、愛したい。
細胞たちへの愛は、その本音を呼び覚ましてくれる。
細胞さんたちは宇宙観を勝手に養ってくれます。
“愛されること”を優先するほどに
私たちは不自由になります。
“愛すること”を優先するほどに
私たちは自由になります。
「愛されなければ!」というのは、
真実ではなく、幻想かもしれません。
(資本主義社会の探究については、こちら)
『細胞教室』で伝えたいこと
自分のYesに正直に。
誰がどう思おうと関係なく、
それを貫けるからこそ
人のYesにも両手を広げてYesと言える。
そんな在りかたを大切にしていきたいです。
つべこべ言ってるけど、
大事にしたいのは「シンプルさ」です。
つべこべ言ってるけど(笑)
本当に細胞さんたちはすごいんです。
伝えたいことはただこれだけです。
この大宇宙とつながるときも、
外のシステムを眺めるときにも、
自分の内側とつながるときも、
細胞さんたちが与えてくれる示唆には大いなるヒントが隠れています。
『細胞教室』の“探究のタネ”とは、
細胞さんたちが与えてくれる、
これらの示唆のことなんです。
この記事に書いている、
社会の仕組みや逆引きの考え方など
一見すると 細胞さんたちとはまったく無関係のようにみえます。
しかし、
これらすべてのことについての
“探究のタネ”は細胞さんたちがくれたものです。
それが少しでも、
この記事で表現できればと思いますが、
20,000字程度ではとてもおさまりません。。
転換期に細胞が教えてくれること
今は大きく時代が変わる転換期。
思っていたよりも世界は大きく変わっていくような気配がします。
DAO(自律分散型コミュニティ)に参画し、
その運営に携わってみた結果、
私は「DAOの仕組みを創る」という幹の役目ではなく、
「DAOになっていく、をアシストする」という枝葉の役目が向いている!ということが分かりました。
このことが明確になっていくのに、
自分と向き合い続けることはとても大切なことでした。
ふと湧いてくる違和感をスルーせずに向き合うって、
すごく面倒だし、億劫なんですが、
やっぱり一番の近道でもあるんだな~と実感しました。
そして、
それを周りの仲間やメンバーに“伝えてみる”
ということも大切な挑戦でした。
お互いの考えを理解し合おうとできること、
受けいれてもらえることに感謝しかありません。
ただの自己主張でもわがままでもなく、
なにが間違っていてなにが正しいということでもなくて、
目指しているところが同じでも、望むプロセスがちがうだけ。
それは単純に “役目” がちがうということなのだと、
この体験を通して感じました。
なにかに対する“違和感”は、
あくまでも『自分にとって』という視点がとても大切で
なにかをジャッジメントする材料にはなりえません。
この “ズレ” という余白にこそ可能性が潜んでいます。
目指しているところが同じだからといって
みんなで同じことをしていては、結局「1」に留まってしまいますが…
ほんの少しの“ちがい” や “ズレ” を
それぞれがしっかりつかんで突き進んでいくと…
少しずつ世界が広がって…!
おたがいに体現しあう世界が「100」なり「1000」なり展開し、
結果大きな転換になっていくのだと私は思っています。
『大いなる矛盾』こそが、
『大いなる調和』をもたらしてくれる…ともいえそうです^^
(このパラドックス、すごい!笑)
だからどんどん一人ひとりが感じて、
考えて、動いてみること。
細胞さんたちは、必ずこのチャレンジをサポートしてくれます。
それぞれが感じる “違和感” や “矛盾” は、
その人にとってだけのもので、
そうした感覚こそが、「最適配置」を促し、
これからの自律分散化(=DAO化)を助けてくれます。
そして、
その “違和感” をクリアに私たちに伝えてくれるのは、
【身体感覚】です。
「天の采配」という言葉がありますが、
それこそが「最適配置」なんだとすると、
“身体”という小宇宙とつながると、
“宇宙”という大宇宙につながっていく、
という理由がみえてこないでしょうか?
“生き物”としての私たちを知る、
の記事で触れていたように
「細胞に意志はあるのか?」という命題には
まだ決定的な結論はでていないものの、
細胞同士のやりとりからみえてきたものは
ひとつひとつの細胞には『導く力』と『引き戻す力』が働いている、という事実でした。
私たち一人ひとりのなかに《男の子》と《女の子》がいるように、
細胞ひとつひとつのなかにも男性性のちからと女性性のちからがあるんです。
お互いにメッセージをだし合いながら、
『導く力』と『引き戻す力』によって柔軟なネットワークをつくりだします。
私たち人間はアタマを使って一生懸命に
“自律分散的になっていくには…?”と日々奮闘しているのに、
細胞さんたちは当然のように、自律分散して淡々と私たちの肉体を生かしてくれています。
あぁ、なんだか細胞さんたちを信頼するなんておこがましい、
細胞さんたちを尊敬すらしてもいいのかもしれないと思えてきますね(笑)
男性性優位な時代から
女性性優位な時代に変化していくにあたって、
細胞さんたちの声に耳を傾けることは思っているより大事なのかもしれません。
「中央集権型」から「自律分散型」に変わっていく。
この動きこそ、男性性から女性性優位へのシフトをあらわしています。
一見すると、
一人ひとりが大切にされ、
義務や強制のない世界、のようにも思えます。
でも、
それが実現されるためには、
一人ひとりがまずは自分を大切にすること、
まずは自分で考えてみること。
つまり「自分ごと」で在ることが大事なのかもしれません。
“風の時代”は向こうからやってきますが、
自分が“風の起点”であるという側面も見逃せません。
女性性がもつ
「我慢」ではなく「受容」という、
本当の器が試されているともいえます。
“ご機嫌にしてあげよう!”という男性性の思いやりだけで成立するものではなく、
“ご機嫌で過ごそう♪”という女性性の歩み寄りがあってバランスするものです。
その秘訣は?
教えて細胞さん!
そんなわけで、
「宗教肯定派カウンセラー」から
「ソマティックな探究について発信する人」を経て
『細胞教室』を実験する
“セラピスト”ならぬ、“セルピスト”(Cellピスト)が現在の肩書となりました。
どうぞ温かい目で見守ってくださいませ^^
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●【概念編】
⇒思考(左脳)と身体感覚(右脳)のちがい①~⑤・<最終章>
※<最終章>までの連続シリーズです。
●【本質編】
⇒ソマティック(身体性)な探究~本質編~
●このブログでは、
【パーツ心理学】にもとづいて、
身体の細胞や感情に対して
“擬人的”な表現を多く用いています。
自分と向き合ったり、
感情と距離をおくことを優しく
手伝ってくれる神経生物学的考え方です^^