身体感覚による《自己調律》

私たちの身体は本当にすごいんです。

思考がダメで、
身体が優秀、
ということではありません。

思考と身体では、
“やり方”がちがうんですね。

そして、
身体というもののポテンシャルが
あまりにも軽視されています。

よく、
“思考がぐるぐるしてしまうこと”
ってありますよね。
考えてもしかたのないことなのに、
何度も何度も考えてしまって
自己嫌悪になることもあります。

それは、
思考から《気づき》を得ると、
“うまくやらないと”などの焦りから、
次は“コントロールしなきゃ!”いう意識が働くからです。

思考は、
“過去の体験をベースとしたコントロール”
によって問題解決をしようとするからなんですね。

でも、
これを身体感覚にゆだねてみると
少しやり方が変わってきます。

身体には、
《知性》と《ちから》の両方が
そなわっていて、
感覚から“気づき”を得ると、
勝手にいい具合に調律してくれるんです。

そのとき感じていること、
思い浮かんだこと、などの材料を
身体感覚という【ほっとく鍋】に
放り込んでしまえば、

あとは勝手に調理してくれるんです^^

どんな料理が出来上がるのかは、
人によって、シーンによって、
パターンによってちがいます。

自分の体感が変わって、
“問題”を“問題”と感じなくなったり、
現実が実際に変わってくる、
モノや情報との出会いがもたらされる、
人とのご縁がもたらされる・・・

どんなことが起こってくるか?
それを好奇心をもって
楽しみにしてみてくださいね^^

大切なのは、
“期待”や“執着”を上回る
純粋な好奇心をもってみることです。

身体オタクの“細胞との共同作業”

私は、
身体感覚オタクなところがあります(笑)

なにごとにおいても言えることですが、
なにかを本気で探究しようと思えば、
オタク的になっていくのはもう仕方ないことだと諦めています(^-^;

それとともに、
なんだか見えてくるものもあります。

ソマティック(身体性)とは、
今さら明らかにされた最新科学ばかり
扱っているものではありません。

太古の昔からある、
『心身一如』の概念について
あらゆる分野・角度からあらためて考察しています。

だからなのか、
だんだんと物事の本質のようなものが
みえてくることがあります。

そうすると、
なんだか今のこの世界の
いろいろなところで
矛盾が起こっているような気がしてならないのです。

現代であるからこそ、
こうして探究し、
わざわざ言語化していますが、
思考優位になる前の人たちは
ごく当たり前にこうしたことをしていたのではないかと思います。

そして思考優位な現代では
素通りしてしまうような違和感を、
ちゃんとキャッチして対処していたのではないかと感じます。

それくらい、
この世界は根っこから
少しずれたところで
展開しているような…
それこそ
宗教の代名詞のようになっている
「マインドコントロール」というものが
私たちの生活のすみずみにまで浸透しているような気がしてしまいます。

きっと探せば、
どこかに答えのようなものがあるのだ
と思いますが、
なにが善でなにが悪という話ではなく、
どれもが人類の進化におけるかけがえのない
プロセスのように感じています。

だからこそ、
すでに私たちに与えらえたポテンシャルに
もっと目を向けていきたいと思っています^^

決して昔の人のほうが優秀だったというわけではなくて、ある意味でそれくらい挑戦しがいのある時代に生きている私たちにはポテンシャルが与えられているのだと勝手に自負しています(笑)

それでは、
身体の《自己調律》のちからについて、
私の経験から具体的なお話をしてみますね。

身体感覚を捉えるという感覚が
当たり前になった段階でのお話なので
「どういう意味?」
と感じられるかもしれません。

なんとなく、感覚的に、
そんなこともあるのね~くらいに
受けとっていただけると嬉しいです^^

(身体感覚を捉える、
とは全然むずかしいことではなく、
身体のままに動いてみること
身体と向き合うことの習慣の積み重ねで
自然とそのようになっていきます。)

私のなかで【細胞】とは、

↑こういう存在ではなく、

↑こんな感じの可愛らしい存在です。

こうした細胞のイメージとともに、
こちらの記事でお話したような
【パーツ心理学】の概念を取りいれて
細胞たちとやりとりをしています。

もはやこの表現がぶっとんでいるのか
どうかも分かりません(笑)

大丈夫でしょうか^^;
ひとまず続けますね。

私たちが、
いわゆる“愛”や“思いやり”と
混同してしまいやすいもののひとつに
【執着】というものがあります。

よかれと思って…
ということが多いので、
【執着】には気づきにくいですよね。

身体からすると、
この【執着】というものを抱えているのは
ものすごくしんどいです。

無意識のうちに
【執着】をもっていると、
なんとなく身体は重く、
姿勢はうつむきぎみに、
気分はふさぎこみやすくなっていきます。

でも、
そんな身体の重さや気分の落ち込みの原因が
【執着】だとは気づきにくいものですよね。

どんなこともまずさきに
身体に症状があらわれています。

それは身体が
潜在意識領域のものだからともいえるかもしれません。

だからまずは、
ふっと感じるその
身体の重さや気分の落ち込みを
味わってみるのです。

“うわ、なんか肩甲骨あたりに
ぐっと重さを感じるな…”

“お腹のあたりがヒヤッとする”

そんな感じで大丈夫です。

感じる=“気づき”があるだけで、
身体が【自己調律】をはじめてくれます。

(フィットネストレーナーの方も
「自分の身体の変化に気づきが多い人は
ボディラインも変わりやすいですよ~」
なんて励ましてくれますよね。)

あとは身体をゆるませて、
どんなことがでてくるかな~と
待ってみます^^
(ここで期待しないことが大事。
期待は身体をこわばらせる大きな原因です。)

私は
定期的にマッサージに行くようにしているのですが、このときに発見にいたることが多いです。

信頼しているセラピストさんに
ゆーったり身体をおまかせしていると、
触れてもらうことで
自分ひとりでは気づかなかった

身体のこわばりや凝りにも気づいていきます。

半分寝ているような、
半分起きているような状態で、
そうした身体の感覚を感じていると、
ふとひらめきのように、
“わ!これって執着だったんだ!
うわ~これはしんどいはずだわ。”
なんてことが浮かんできます。

イメージとしてはこんな感じです。

わぁ、なんだかきゅうくつそう(笑)

ここがキャッチできたら、
細胞たちとの共同作業です。

【執着】を抱えてくれている細胞たちに、
「負担かけててごめんね。
もうそれは流して大丈夫よ~」
という声かけ(意識を向ける)をしながら、
マッサージの心地よさを感じつつ、
細胞たちが手放した【執着】が流れていくのをイメージします。

文章だけだと
“???”かもしれません。

でもこれが体感として実感できるようになると、本当に【執着】をはじめとしたいろいろな感情を細胞たちが抱えているんだなということが確信になっていきます。

このマッサージのあと、
単に身体がすっきりするだけではなく、
感情面がクリアになるのはなんとなく
想像いただけますでしょうか^^

このクリアな体感というのは、
今後のリソースになっていくので、
その心地よさもしっかり味わっていきます^^

このときに私が執着してしまっていたのは、
そのときの職場でした。

“今自分が抜けたら迷惑をかけてしまう”
とか、
“なんだか中途半端に終わってしまう”
とか、なんやかんや理由をつけて変化を拒んでいました。

でも、
モヤモヤしていたのは間違いなく、
本当は次の一歩を踏みだしたいのが本音でした。

それを周りへの思いやりと差し替えて、
その職場で得ていた信頼や評価への
執着を手放せずにいたのでした。

その【執着】を自覚して、
さようなら~♪ができたとき、
もうそこには感謝しか残りませんでした^^

親子関係や恋愛・夫婦関係など
大切な存在であるほど執着を抱えやすく、
“愛”や“思いやり”と勘違いしやすいものでもあります。

だからこそ、
そういった関係性のなかで重さを感じることがあれば、まずはそれを味わってみてもいいかもしれませんね^^

なにか見つかるかもしれません。

それが“真心”なのか“執着”なのかは、
身体や気分がおしえてくれます。

でも、執着を抱えたくて抱えてるときだって
ありますよね^^

あ~執着してるなぁ。
なんて感じながら抱えててあげてもいいわけです。

またタイミングがきて、
細胞たちが抱えてくれている【執着】がふっと解消されるときがきます。

クリアな感覚で本当の“愛”や“思いやり”
を感じられて、なんともいえない温かさが溢れてきます^^

感情とともに“在る”だけでOK

ソマティック(身体性)
というものの面白いところは、
その【探究性】にあります。

ご紹介したような、
細胞ともコミュニケーションなんて
人からしたら「え?」という感じですよね(笑)

でも、
身体感覚から
自分というものを知ろうとするとき、

こうしたオリジナルの方法というのは無限に
生まれます。

それこそ、
“自分らしさ”ですよね^^

このブログを読んでくださっている方の
多くがもたれている信仰心。

なにかを信頼する、
という体感はなににも代えがたいリソースです。

私は、
この信仰心というリソースを
生かすために
【細胞たちを信頼する】という方法を

見つけました。

正確には、身体がその自己調律によって
その方法を見つけてくれました。

文字にしてしまうと、
とても難しいもののように
表現されてしまうのですが、
全然難しいことではないんです^^

まずは、
身体のままに動いてみること
身体と向き合うことの習慣
を楽しんでみてくださいね。

少し“感じること”に慣れてきたら、
感情とともに在る、
ということを意識してみてください。

その感情が根深いものでなければ、
“感情とともに在る”だけで解消されることもあります^^

たとえば
【不安】という感情について、
多かれ少なかれ
誰でも抱えているものであり、
瞬間的に感じるものでもありますよね。

仕事の業績に関する数字。
大切な人からのメッセージ。
健康診断の結果。
今月のクレジットカードの請求。

なにかを目にしたとき、
一瞬感じる【不安】の感覚。

目の奥がずんと重くなる感じ。

喉がつまるような感覚。

背中に感じるこわばり。

みぞおちに感じる重さ。

いろいろありますよね。

あ、不安な感じがでてきたな、
と思ったら、その“感じ”に浸ってみます。

目の奥がずんと重くなる感じを、
しばらく感じていると、
どんな感じがするでしょう?

なにかイメージがでてきますか?

なにかしたいことはありますか?

“ちょっと横になりたくなる”
という気持ちがでてきたら、
「OK!ちょっとだけ昼寝してみようね。」
とその感情に寄り添うようにしてみてください。

すると、
30分ほどのお昼寝で、
寝る前に感じていた、
みぞおちあたりに感じていた重さが
消えていて気分も少し落ち着いていたりします^^

こんな感じで、
瞬間的に生まれた感情を
チャッチ&リリースしていくと、
その感情がたまってくすぶってしまうことが
軽減されていきます。

行動しようとすると抵抗が生まれる。

まだ起こってもいないような失敗を想像して
落ち込んでしまう。

そんな停滞感にも、
「きたきた♡」
という感じで楽しく寄り添ってみてくださいね^^

なにごともそうですが、
【期待】と【執着】は
望みとは逆方向のちからを
生みだします。

軽い気持ちで、
身体とのコミュニケーションを楽しんで
みてくださいね^^

 

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Q.「ソマティック(身体性)とは?」

●【概念編】
思考(左脳)と身体感覚(右脳)のちがい①~⑤・<最終章>
※<最終章>までの連続シリーズです。

●【本質編】
ソマティック(身体性)な探究~本質編~

●このブログでは、
【パーツ心理学】にもとづいて、
身体の細胞や感情に対して
“擬人的”な表現を多く用いています。
自分と向き合ったり、
感情と距離をおくことを優しく
手伝ってくれる神経生物学的な考え方です^^