新しい視点(=気づき)がもたらされるとき起こる変化

前回の記事に引き続き、
『もたらされるもの』について
思考(左脳的)と身体感覚(右脳的)のちがいを
書いてみたいと思います^^

それでは、
【身体感覚】によって、
新しい視点(=気づき)が
もたらされるのはなぜなのでしょうか?

そのとき身体の内側で何が起こり、
外側がどう変化していくのでしょうか?

新しい視点(=気づき)が
もたらされるときに私たちの身体に
起こってくる変化を図にしてみますね。

身体が変わっていくことで、
外側の世界がこんな感じで変わっていくんですね。

「言葉を変えると行動が変わる、
行動が変わると…人生が変わる」
という名言がありますよね。

その理屈はなんとなくわかっても、
“言葉を変える”って意外と面倒で、
ハードルが高いものです。

だから“身体”から変えてしまいましょう^^

『なんとなくやる気がでない』のは
『なんとなく身体が重いから』です。

“身体”からアプローチしていけば、
“言葉”を変えることも簡単です。

たとえば、
好きな人からのメッセージの
返事が遅いときや、
就職を希望している会社からの
合否の連絡が遅いとき。

呼吸が浅く、身体がこわばっていると
(過去の傷を抱えたままの状態だと)
“相手は自分に興味がないのだ”
という『認知』が生まれます。

呼吸が深く、身体がゆるまっていると
(今に最適化された状態だと)
“相手も忙しいときなのだろう”
という『認知』が生まれます。

前者と後者では、
口にする“言葉”も自然と変わってきますよね。

身体の状態によって生まれる
『認知』をもとに人生は展開していくんですね^^

“世界”を変えるより“身体”を変える

こちらの記事でお伝えしていたように、
そもそも私たちは、
【思考】優位に、
身体にさまざまな傷を抱えたまま
この世界をみています。

ただでさえ傷だらけの身体で、
さらに“愛されるため”に
頑張ることを求められるという状況は
とても酷ですよね。

そのうえ“愛されなければ価値がない”
という刷り込みまで与えられて…

とても、
この世界を穏やかに眺める、
なんてことができるような心境には
なりませんよね。

でも安心していきたいのは、
“傷”は自分でも癒すことができるし、
【愛する】ことで【愛される】ことも
生みだせる、ということが
《ソマティック(身体性)》
という切り口からはみえてくるんです。

(“傷”があまりにも深くて、
自分ではどうしようもないと感じるときは
人の手を借りてみてもいいですよね^^
こちらの記事でも書いているように、
私たちは【一人で癒される部分】と
【人とともにあるから癒される部分】の
両方をもっています。)

私たちが問題に出くわしたとき、
思わずその問題そのものを
“どうにかしよう”としがちですが、
こちらの図↓でもわかるように、
問題(世界)へアプローチするよりも
身体にアプローチしたほうが生産的ともいえるんですね。

 

私たちは、
この世界を、
“身体の状態によって、
自分の好きなように”見ています。

この世界が
ネガティブに見えるのであれば、
それは
“自分が好きこのんでネガティブに”
見ていると言えるんですね。

つまり、
身体の状態を変えてあげれば、
いくらでもポジティブな視点をもつことが
できるということなんです^^

【身体感覚】を意識してみることが、
ネガティブレンズをポジティブレンズに
変えてくれるなんて吉報ですよね。

ポジティブになるために、
なにか資格を取ったり、
莫大な収入をあげたり、
パートナーを作ったり、
人脈を広げたり、
ダイエットをする必要もないんです。

それらはきっとあとからついてきます^^

“本来のポテンシャル”が発揮されるわけ

前回の記事でも書いていたように、
【身体感覚】によってもたらされるもの
のひとつに“本来のポテンシャル”があります。

なんとなく将来に希望が見いだせない。
どこを見てもネガティブな情報に溢れてる。
誰も信用することができない。

そんなことを考えてしまうとき、
【身体感覚】は抑圧され、
【思考】がフル稼働しています。

【思考】だけで突き進み、
呼吸が浅く、身体がこわばっているとき、
細胞たちはこんな感じ↓です。

細胞たちがこの状態では、
私たちが本来もっている
ポテンシャルを発揮することはできませんよね。

細胞たちのエネルギーが、
余計なもの
(過去の傷・我慢・評価を気にした力み)を
抱えるために注がれているからです。

【身体感覚】も取り入れて、
呼吸が深く、身体がゆるまっているとき、
細胞たちはこんな感じ↓です。

余計なもの
(過去の傷・我慢・評価を気にした力み)

を抱えなくてよくなった細胞たちには
余裕が生まれますね^^

余計な荷物を降ろし、手の空いた細胞たちが
「実はこんなことだってできるんだよ♪」
と、本来のポテンシャルを発揮してくれるようになっていくんです。

『そういえば子どものとき、
こんな遊びが好きだったな~』

『ずっとやってみたかったこと、
やってみようかな♪』

『あれ?意外とこういうことが
得意だったんだ!』

たとえば、
【思考】だけで進んでいたとき、
人からの批判を恐れて、
リーダーの右腕として
サポートに徹していた人が、
本質的な自分(=魂)に触れたとき
実はリーダーポジションのほうが
向いていた、
ということだってあります。

その逆も然りで、
その変化はもちろん
人それぞれでちがいます。

そんなふうに少しずつ、
“本質的な自分のポテンシャル”
が発揮されていくと、
世界を見るときのレンズも
変わっていくのは当然のことですよね。

“ネガティブ”のレンズが自然と外れて、
“ポジティブ”のレンズで世界を見ることに
なっていくんですね^^

【がっつきモード】と【受け取りモード】

こちらの記事でも触れていたように、
【思考】のやり方は、
“がっつきモード”で、
【身体感覚】のやり方は、
“受けとりモード”です。

それぞれのやり方の
プロセスをイメージにすると
こんな感じになります。

ちょっとイラストがお粗末なのですが、
下方を手前、上方を奥行きと思って
ご覧くださいね(笑)

●【思考】だけのプロセス↓

こんな感じで、
【思考】のプロセスの特徴には
このようなものがあります。

✓《答えや結果》に辿り着くことに強迫的
✓  “今この瞬間”に集中してとどまることができない
 (=自らあらゆるものを探し求める)
✓  ポテンシャルを発揮しにくい
✓  プロセスそのものには意味がない

“愛されるため”の行動なので
(行動の根拠が外側にあるので)
《答えや結果》を得ることに強迫的で
それを得ることができなければ意味がない、
という考えのもと進んでいくことになります。

●【身体感覚⇒思考】のプロセス↓

 

一方で、
【身体感覚⇒思考】のプロセスの特徴には
このようなものがあります。

✓ 《答えや結果》は副産物のような感覚。
✓  “今この瞬間”に集中してとどまることができる。 
(=あらゆるものがピタリと与えられる。)
✓  ポテンシャルが発揮されやすい
✓  プロセスそのものを楽しめる

“愛するため”の行動なので
(行動の根拠が自分にあるので)
《答えや結果》を得ることは副産物であり
そのプロセスそのものに意味があり、
楽しむことすらできる、
という考えのもと進むことができるんですね。

【思考】のプロセスと
【身体感覚⇒思考】のプロセスを
モテるかどうか?”という視点で比べて
みてください。

【身体感覚⇒思考】のプロセスのほうが、
なんとなく余裕があって“モテそう”では
ないですか^^?

その通り。
【身体感覚⇒思考】のプロセスのほうが、
“宇宙”からモテてしまうんですね。
もちろん人からも♡♡(笑)

自ら「探しにいかなきゃ!」、
「早くしなきゃ!」と動き回らなくても、
“今この瞬間”にいるだけで、
“宇宙”からあらゆるものはピタリピタリと
与えられます。

それをひとつひとつこなしていく。
そのプロセスがもはや楽しい、という特典つきです^^

プロセスのなかで、
もう既に望んでいたものが与えられるので
《答えや結果》に辿りついたときには、
「あ、そうそうこれも欲しかったんだよね」
と、それすら副産物になっていくんですね。

そして、
この《執着》や《期待》のなさ
さらにものごとを発展させていきます。

でも思考】だけだと、
“今この瞬間”にいることができません
「いつ結果がでるんだろう?」
「将来どうなっているんだろう?」
「あれがよくなかったんだろうか?」
そうやって過去や未来の“不安や恐れ”に
意識が向いてしまって、
「探しにいかなきゃ!」
「早くしなきゃ!」と動き回ってしまうので、“宇宙”から与えられるものに気づくことができません。

本当はきっと、
たえず“宇宙”からあらゆるものが
与えられています

【思考】だけになってしまうとき、
本当ならピタリピタリとあらゆるものが
“今この瞬間”にもたらされているのに、
“今この瞬間”にお留守なのでニアミスしてしまうんですね。

【思考】だけで進んでしまうと、
《人・モノ・情報・環境・タイミング》など、あらゆるものとの運命の出会いを見逃してしまいます。

————

私たちの【思考】は、
モテるために“愛されよう”としますよね。

でも、
実際のところは、
“自他ともに愛そうとする”からモテる、
というのがこの世界のカラクリみたいですね^^

どれだけ“本質的な自分(魂)”を体現しているか

それでは、
前述したような
【思考】だけのプロセスと
【身体感覚⇒思考】のプロセスのちがいは
どこで生まれているのでしょうか?

結論から表現すると、
どれだけ
“本質的な自分(=魂)”に触れているか

どれだけ
“本質的な自分(=魂)”が体現されているか

というところに尽きるのだと思います。

以前に、
こちらの記事で、
こんなイメージをご紹介していました。

Spirit(本質的な自分=魂)が
解放されていればいるほど、
まんまるに近づいていくほど、
幸福度は高く、
身体はゆるまり、
自然体で生きていくことができます。

【思考】と【身体感覚】が
どれだけ協調できているか、
ということなんですね。

【思考】と【身体感覚】が
仲良くできていると、
“本質的な自分(=魂)”は自然と
体現されていくように感じます^^

このことについて、
これからの記事でもう少し深めて
書いてみたいと思います。