世界の転換点でラボる


なんだか最近、
本当に世界が変わっていくのを肌で感じます。

大きな転換点を感じながら、
その転換「そのもの」の一端になろうと
自分なりに進んでいくうち、
似たような志をもつ人たちとのご縁がもたらされます。

そんな実験する人たちとは、
「自分にとって」と
「宇宙にとって」はほぼ同義だ、
という感覚をつよく共有することができます。

もはやお互いの行動動機に
「自分の幸せのため」というのは
あまり大きく存在していません。

この転換点で
人々に求められる変容のひとつに、
「べきねば」を手放す!
ということがあると思います。

でも、
それはあくまでも
人の真似をして生きていくときの
「べきねば」であって、

そうした「模倣」のための
「べきねば」を卒業したら、
生命としての「べきねば」と
再び出会うことがあるのだと思います。

家族のための「べきねば」
組織のための「べきねば」
国のための「べきねば」…

そこを卒業して、
再び出会う「べきねば」は、
宇宙に生きる生命としての「べきねば」。

決定的な違いは、
後者には「自己犠牲」がない点です。

「やりたい」と「やるべき」が一致しています。

世界の転換「そのもの」の一端になる、
を一言で表現すると「体現」になります。

「体現」

理念的なあり方や考え方などを
現実的・具体的なものとして示すこと、
実行すること。

「地で行く」などのようにも表現する。


実用日本語表現辞典

「やりたい」と「やるべき」が一致した
実験する人たちの在り方に触れていると、
その考えや想いは、すべて「体現」に
集約されていることに気づかされます。

********

その行動動機に
「自分の幸せのため」という目的は
あまり大きく存在していない、
というと “清廉潔白なヒーロー”みたいな
イメージがあるかもしれません。

でも、
正義の味方とはちょっと違います。

ヒーローはたぶん、
「正義と悪」の文脈から外れたら
仕事がなくなってしまうので
本当のイノベーションは起こしません。

この社会のなかで
実験的に生きようとするって
やっぱりちょっとネジひとつ取れてないと
できない感じはありますよね(笑)

だからめちゃくちゃ面白い。

単純に、
その面白さに惹かれるままに
ともにラボっていきたいと思うのです^^

「宇宙に生きるパーツ」としての生命を
思いっきり謳歌していきたいなと思っています。

「組織系」と「独立系」


以前に、
Human Potential Lab
メンバーシップを立ち上げ、
その運営に関わる一年間を過ごしたという
記事を書きました

ここにも実験する仲間たちがたくさんいます。
=ヘンタイがいっぱい♡(笑)

このコミュニティに、
コアなところで関われたからこそ、
自分自身の「最適配置」がさらに
明確になって運営からは卒業しました。

あのときほどコアに関われていませんが、
相変わらず大切な仲間であり
離れていてもつながっている同志たちです。

コミュニティ運営から卒業した理由として、
こんなことを綴っていました。

DAO(自律分散型コミュニティ)に参加し、
その運営に携わってみた結果、

私は「DAOの仕組みを創る」
という幹の役目ではなく、
「DAOになっていく、をアシストする」
という枝葉の役目が向いている!
ということが分かりました。

転換期に細胞が教えてくれること

これを綴っていた当時は
「DAOになっていく、をアシストする」
の手段として、
『細胞教室』というコンテンツを
形にしていくことが次の流れだと思っていました。

しかし、
そのプロセスを進めるほどに
あれ?「コンテンツ」を作ることが
目的になってないか?という違和感を感じ
一旦立ち止まることにしました。

そしてもらたされたのが、
プロジェクトが自生するちから
という発想(コール)でした。

「プロジェクトが自生するちから」
という記事を綴って(レスポンス)
その直後に「屋久島」への旅が決まります。(コール)

これが宇宙との
「コール&レスポンス」です。

このような流れで、
「個人」での探究から「組織」へ、
そして再び「個人」での探究に誘われていきました。

その探究フィールドは
「コミュニティ」から
「独立系研究者」へシフトしていきます。

自分で意図して
「独立系研究者」を訪ねたのではなく、
ふと振り返ったときに
周りにいる体現者たちが
「独立系研究者」だったことに気づきました。

ここでいう
「独立系研究者」とは、
そうと称しているかに関わらず
特定の組織に所属せず
社会の転換点における研究・実験を
個人でしている人たちです。

ちなみに私は今のところ
ただのソロ活動なので、
「独立系研究者」より手前の
「単独系探究者」です♡(笑)

******

直島ファミリーのパパに、
こんなことを言われました。

「しばちゃんって、
ネズミっぽいと思ったよ。」

見た目の話なのかと思い、
ママと「どういうことー!」
と笑っていたのですが、
さらにこんなことを言われます。

「それだけフレキシブルってこと。
たとえばゾウみたいに大きいと
一歩一歩が重いから、
もしかしたらこうかな?と
思ってもすぐに動けないでしょ。
ネズミだったら、ちょこまかしてるから
こうと思ったらすぐ動けるじゃない。」

さすが天才デザイナー。

その在りようを
「デザイン」として捉える力が
抜群だと思いました。

これは本当にそうで、
“ こうかな?ああかな? ”
と自分なりに宇宙との
「コール&レスポンス」を進めるときに
探究フィールドが「組織」だと難しかったのです。

会社やコミュニティなど、
組織として「箱」を持つと同時に
「目的」が生まれます。

その「目的」が、
宇宙の最適配置に位置した
個人としての自分と完全に一致するかと
いうとそれは非常に難しい。

特に私が大切にしたかったことは、
「前提」を問い直すことでした。

そもそも愛とは?
そもそもビジネスとは?
そもそも資本とは?

(このことがのちに「文脈を越えて考える」
という【Cell ラボ】の願いにつながります。)

箱をもつ「組織」においては、
まずはその維持が先決です。

「前提」なんて問い直してる場合じゃありません。

維持することが目的化する瞬間だってあります。

この「目的」を果たすため、
その方針が変わったり
仕組みが変わったりしたときに
それを提言し、合意形成をする必要もあります。

これは
「株式会社」かどうかに関わらず
「組織」である以上、必要不可欠なものですよね。

けれど、
そうするうちに「体現」の道は
どんどん後手後手になっていきます。

同じ願いやビジョンをもっているからこそ
真摯に向き合いたい。

自分にベストフィットなのは、
どんなラボり方なんだろう?

まさにこのポイントはトレードオフで、
「ゾウ」の方が
目に見える社会への影響力やインパクトは大きい。

でも「ネズミ」の方が、
より仮説に基づいた「体現」をしていきやすい。

潜在的な影響力まで計測できるなら、
どちらのほうがどうだとは言い切れないかもしれません。


どんな形でラボっていくかは、
それぞれの身体や思考にフィットするものを
選んでいけばいいのだと思います。

「組織系」にはそのインパクト力や
人材・価値観の多様さ、
ロケーション力などの特長があり、
「独立系」もまた然りです。

前述したように、
「独立系」には、
「こう」と思ったら「こう」すればいい
というシンプルな柔軟さがあります。

必然や偶然に応じて、
集まることも簡単であれば
解散することも簡単です。

言葉だけで表現すると
“ それは脆弱なんじゃないか… ”
とも思えるのですが、

「膨張」と「収縮」を
自在に繰り返せるということは、
脆弱性どころか
柔軟性をもった「しなやかさ」の
基盤になる、とも考えられます。


「みんな」でできる唯一のこと


ところで私は、
「個」も「孤」も大事だと思っています。

それと同じだけ、
「つながり」というものも大事にしています。

これを両立するには、
どうすればいいんだろう?
とずっと考えてきました。

「一人で」
「みんなで」

これが両立しているとは、
どういう状態なんだろう?

そしてふと
自分の人生を振り返ったときに、
私個人としてはこの両立が
割と叶ってきていた、ということに気づきました。

学校でも職場でも、信仰の場でも
グループや部活には属さないけど
誰よりもいろんな人と話します。

客観的にみると「八方美人」だと思います。

でもそれは、
居場所を確保するためのものではなく
所属を越えて、
相手とちゃんとつながりたいがための態度でした。

【Cell ラボ】が
「文脈を越えて考える」を
大事にしているように、
私自身が
「所属を越えてつながる」を
大事にしています。

また、
人が嫌いとかでなく、
むしろ人が好きなのですが
若干「孤」の領域が広めです。

学校にいるあいだ、
職場にいるあいだは
フランクに誰とでも話すけど、
いざ下校、退勤時間となると
誰よりも早く帰っていました(笑)

だからどこに行っても、
「プライベートがほんとに謎!笑」
と言われてきました。

特に隠しているわけでもなく、
問われたら相手が誰であろう
ちゃんと答えるのですが、
そんな謎を持たれやすい過ごし方をしています。

だけど考えてみると、
みんなと同じことをしない私でも
ずっと学校や職場の人たちは、
そのままで存在させてくれていました。

当時はSNSもしていない、
返信も返ってくるけど遅め、
ときおり行方知れずになる。

それでも、
数週間、数ヶ月、数年のときが経っても
会ってしまえば一気にギャザーが寄ります。

逆に、
ちょっとだけ外にはみだしているからか、
みんな本音でいろんな話をしてくれます。

はぐれ者になるほどトリッキーでなく、
同化できるほどの適応能力はない。

********

ここにヒントがあるかもしれない。

これを、
人類全体にスケールさせると
どういうことが言えるんだろうと
考えたときに導きだされたのは、

確実に「みんなで」できる唯一のことは、
「ちがうままで存在し合う」こと。

誰一人取り残すことなくできる、
ということが前提条件なのであれば
これしか考えられません。

だけど、
このことがどれだけ難しいことか。。

「ちがうままで存在し合うこと」
が目的だったとしても、
それを全体に伝播させていこうと思うと
遅かれ早かれ「組織」での取り組みが必要になります。

でも、
「組織」が難しいなぁと感じるのは、
やはり合意によって「固定化」が生じるからです。

「独立系研究者」であれば、
特に合意なく「柔軟に」つながることができます。

目指している世界線は似ていても
「組織系」だと硬直しやすく、
「独立系」だと柔軟になりやすい。

当然といえば当然なのですが、
なんだか不思議です。

この “ 独立的なつながり方 “を、
どうにかスケールすることはできないんだろうか?

そんなことを考えていたら、
思いだしたひとつの「演算」がありました💡


「割算」に代わる「動算」


私が、
Human Potential Labと出会ったとき、
ある「演算」にも出会いました。

Human Potential Lab が主催する
ウェビナー対談に登壇していた、
光吉俊二先生の「割算」ならぬ「動算」です。

スキンヘッドに一年中タンクトップ、
東京大学の特任准教授でありながら
彫刻家、空手師範の顔を持つ、
カオスを体現されたような先生です。

でも、、
光吉演算子のひとつ「動算」は
愛に満ちた演算だと私は思います。

たぶん、
それを感じて当時の私は
この可愛らしい動画に、
大きな衝撃を感じたんだと思います(笑)

「演算」とは言いつつも
全然難しいことはなく、
可愛らしいアニメーションです。

【アニメ】大人の常識をぶっ壊す!新しい算数の発見〜割り算変だよ編vol.1


これまでの「四則演算」に代わる、
「四則和算」という新しい数式の提案です。

「切るcut・動く오・重ねる오^f・裏がえすrev」
の四つです。

「動算」はそのひとつ。

大人ではなく子どもたちの素直な感性
そのままに数式を創ったらどうなった?

「争い」という発想は「割算」に原因があるのかもしれません。

たとえば、
「1」を「2」で割ったら「1/2」になります。

これって大人になると
疑問にも思いませんが、
残された「1/2」以外の
もう半分の「1/2」ってどこへ行ったんでしょう?

たとえば
「6匹」の虫を2つに分ける場合、
「2人」に「3匹」ずつ分ける方法と
「3人」に「2匹」ずつ分ける方法があります。

そしてどちらも正しい。
…ケンカになっちゃいますよね。

「割算」という考え方が当然になっていると
「争い」という発想が生まれるのも当然です。

そこで💡
「割算」に代わって、
四則和算が提案するのが「動算」です。

【アニメ】デジタルとアナログ?割り算から動算へ大人の常識をぶっ壊す!



もしも
「動算」の考え方が当然のものとなれば
「ちがうままで存在し合う」こと
も現実のものになっていくのではないか、
と思えるのです。

さらに
「独立的なつながり方」のスケールの
拡大をも手伝ってくれるのでは?
とも思えてきます。


********

直島を再訪する少し前
大阪梅田の地下ダンジョンで
「数学する身体」との出会いがあったと
書いていました。

この探究レポートがまだ間に合っていないのですが、
今、【Cell ラボ】は
「アート」から「デザイン」、
「数学」などをウロウロしています。

でもこれは、
宇宙との「コール&レスポンス」
プロセスの中でおのずと辿っているもの
であり意図したものではありません。

けれど、
確実になにかが観えてきている気がします。

特定の「文脈」を越えること…
これは思っている以上に重要なことなのかもしれません。

そんなことを思いながら過ごす日々、
“ 体現者のBeingに触れる ”という
私にとって最上の「学び」のなかで、
ひとつのターニングポイントが訪れました。

to be continue…