「根っこ」と「日常」

この屋久島の旅は、
遠方の離島にわざわざ訪れているのに、
「特別な予定」をほとんどいれませんでした。

それこそ、
「うたた寝」を含め(笑)
「美味しいご飯」や「会話」、
「地元の温泉」などなど、
日常生活のなかで経験するようなことを
屋久島でしていただけ、という感じでした。

今回の旅を、
「日常」の延長線上のように捉えていたので
敢えて縄文杉のトレッキングには参加せず、
もう少し気軽に訪れることのできる
“ 白谷雲水狭 ” のトレッキングにトライしました。

初対面のメンバーとともに、
お互いの名前も知らないままに、
お互いの人生の「今ここ」について話したり…。

卒業して新生活スタート、
離婚して人生リセット中、
退職して独立決意の渦中、
などなどいろんな人生模様とともに登ります。

牽引してくださった72歳のガイドさんは、
1か月に25回登山する大ベテラン。

お爺ちゃんガイドさんの言葉と足取りは、
軽いのにとても深いものがありました。

足取りが「深い」ってなんだろう…
そんなことを考えながら、
ガイドさんが踏んだところと同じ場所を踏んで登ります。

私にとっては特別な登山も、
ガイドさんにとっては「日常」なんだな。

…このトレッキングのあと、
ガイドさんが宿まで送ってくれて、
そこから私は「湯泊海中温泉」に向かいました。

「海中温泉」とは、
海辺に湧き出す温泉のことで
いわゆる海辺の露天風呂です。

入湯料として、お気持ちほどの200円を
備えつけの集金箱に納めます。



こんな感じで、
本当に海が目の前に広がり、
剣山のように硬化した岩々に、
波が打ち寄せては大破します。

これがまた絶妙な感覚をもたらしてくれました。

ちゃぷんと「温泉」に浸かりながら、
目の前では大自然の営みがまざまざと…。

「日常」と「非日常」の狭間にいるような、
そんな感覚で流れる雲を眺めていると、
またひとつ大切なことに気づきました。

私は、
「日常」がすごく好きです。

屋久島という、
「非日常」で「特別」な場所にきて
「日常」っぽいことを体験するなかで、
あらためてそのことに気づかされました。

この世界の「正解」の外にでる


時代が大きく変わっていくなかで、
人間がより人間らしさを取り戻すことを
さまざまなサービスが手伝ってくれます。

そこには、
カウンセラーやコンサル、
コーチングの領域も含まれてくるかもしれません。

もちろん、
それらは深い愛をもって提供されていて
たくさんの恩恵を受け取ることができます。

その深い愛を感じるからこそ、
目を背けられないことがあります。

たとえば、
「自分を大切にすること」や
「自分にとっての成功や幸福」
それらの意味や方法まで、
人に問う必要のある世界ってなんだろうと
ふと疑問に思うことがあります。

もう少し厳密に表現すると、
そうした「問い」に
すぐに答えてもらえ過ぎる、
という現実が私たちに「自分で考える」隙を与えてくれないのかな?
とも思うのです。

これは善い悪いの話ではなく、
今の資本主義社会の仕組みのなかで
顧客に「よりよい」ものを提供しようとすれば、そうした「問い」にすぐに答えることが正解になります。

これからさき、
法人格ではなく個人格で提供されるサービスが増えていけばいくほど、

「〇〇にお困りの人」から、
「●●の〇〇にお困りの
△△にお住いの◇代の女性」
という具合に、示されるターゲットは
より個別具体的にベストフィットになっていきます。

時間の経過とともに
さらに精密になっていくパーソナルなアルゴリズム。

ほんのちょっと悩みや迷いを
吐露(もしくは検索)しただけで、
「はいこれ!」
「それならこれ!」
のような勢いでベネフィットが示され、
さらに「自分で考える」隙を失ってしまいます。

「問題」として存在していなかったことすら、「問題」になっていく。

的確すぎるペルソナ設定が、
人を追い込むといっても過言ではないのかもしれません。

今の在り方を「点」で観れば、
顧客の悩みは解消し、
問題も解決し、
顧客も提供者も幸せです。

でもこの在り方を「線」で観ると、
顧客の問題がなくなることは、
あらゆる提供者が路頭に迷うことを意味します。

さまざまな食べ物の危険性が
取り沙汰される中、
「こっちなら大丈夫ですよ!」
とその安全性を謳う商品も、
あらゆる食べ物が安心・安全になったら
売れなくなってしまいます。

拡大した表現をしてしまうと、
「自由」や「平和」を標榜しながら、
それが実現してもらっては困っちゃう仕組み、
ということですよね。

なかなかなパラドックスを孕んでいます。

「人の生き方や変容に関わること」が
いよいよ「ビジネス」のフロンティアとして
台頭している今、
これまで当然のことのように受け容れてきた
「資本主義社会」の在り方を如実に突き付けられているように思います。

単純にその仕組みを批判するとか
拒絶するということではなく、
そもそも「ビジネス」や「商売」
ってどんなものだったのかしら?

そこに立ち還ることで
みえてくることがあるかもしれない…

そんな風に過ごしていたら、
次に訪れた地、
「直島」でそのヒントに触れることができました。

この探究については、
次回以降に続きます^^

「感じる」の向こうにある「考える」


人間がより人間らしさを取り戻すことを
手伝ってくれるさまざまなサービスは、
多くが「非日常」な空間でのリトリートや
「特別なメソッド」を用います。

でも、
もうちょっと「日常」にもヒントを見出してもいいのかもしれない。

特に、
「自分を大切にすること」や
「自分にとっての成功や幸福」の意味や方法…

そうしたことは、
私たちはもうすでに「知っている」ような気がしてなりません。

もしもそれを「知っている」のだとして、
それを「思い出す」ためには、
しっかり『感じる』ということの向こう側にある『考える』という行為が不可欠なのかもしれない。

波打つ海を眺めながら、
そんなことを思いました。

このプロジェクトのコンセプトは、
「非日常」ではなく、
「日常2.0」のようなもので、
いわゆるリトリートに象徴される「非日常」ではなく、
「日常」のアップデートの提案になるのかもしれないなぁ。

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たった一週間の旅でしたが、
その中身はとても濃厚なものでした。

屋久島に行くことが急きょ決まった前日、
「細胞教室」というプロジェクトについて、
コンテンツやブランディング、
マネタイズは今固執すべきことなのか?
という“ 問い ”に対して、

天が私に投げたインスピレーションから、
なるべくズレることがないように、
今はプロジェクトが自ら育つ力を信頼し見守りたいと
いう“ 応え ”をここに綴っていました。

| プロジェクトの生まれ方・育ち方


そして翌週、
屋久島に旅立ち、
このプロジェクトにとって大切な
「根っこ」「日常」という栄養を持ち帰ることができました。

そこからさらに熟成は続いています。

誰得なブログ過ぎて笑えてしまいますが、
これからこんなプロセスで創造されるものは
増えていくんじゃないかな~という想定も踏まえて、
続けていこうと思います💡